横河電機

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横河電機株式会社
Yokogawa Electric Corporation
Yokogawa.png
Yokogawa office musashino.jpg
Yokogawa office.JPG
本社入口付近から撮影
本社
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
180-8750
東京都武蔵野市中町2-9-32
設立 1920年12月1日
業種 電気機器
法人番号 4012401012569 ウィキデータを編集
事業内容 制御事業・計測事業・航機その他事業
代表者 西島剛志取締役会長
奈良寿(代表取締役社長
資本金 434億105万円
売上高 連結:4,037億1,100万円
(2019年3月31日現在)
営業利益 連結:345億9,400万円
(2019年3月31日現在)
純利益 連結:284億4,600万円
(2019年3月31日現在)
純資産 連結:2,961億5,000万円
(2019年3月31日現在)
総資産 連結:4,701億1,400万円
(2019年3月31日現在)
従業員数 連結:1万7,848人 個別:2,574人
(2019年3月31日現在)
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 12.04%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 5.97%
第一生命保険 5.87%
日本生命保険 5.05%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口9) 4.32%
みずほ信託銀行 退職給付信託みずほ銀行口 再信託受託者資産管理サービス信託銀行 4.21%
ステート ストリート バンク アンド トラスト カンパニー 505223 2.80%
横河電機持株会 2.48%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口5) 1.49%
資産管理サービス信託銀行(証券投資信託口) 1.42%
(2017年3月31日現在)
主要子会社 関連会社参照
外部リンク www.yokogawa.co.jp/
特記事項:各種経営指標は2017年3月期のもの
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横河電機株式会社(よこがわでんき, 英語: Yokogawa Electric Corporation)は、東京都武蔵野市に本社を置く、工業計器・プロセス制御システム専業の大手電機メーカー。この分野では国内最大手、世界6大メーカー(グローバル・ビッグ6)の一つ。売上の70%が海外事業で、かつ従業員の70%が外国籍というグローバル企業である。YOKOGAWAグループの事業持株会社としての機能も有する。芙蓉グループに参加している。なお、横河建築設計事務所横河ブリッジホールディングスは兄弟会社である。日経平均株価の構成銘柄の一つ[1]

コーポレートスローガンは、Co-innovating tomorrow

概要[編集]

1983年4月1日、日本を代表する工業計器・プロセス制御システムの大手専業メーカーの横河電機製作所(YEW)と北辰電機製作所(Hokushin)が経営統合し、横河北辰電機株式会社が発足。1986年にCIを実施し、横河電機株式会社(YOKOGAWA)と社名変更し、現在に至っている。すなわち、現在の横河電機は、日本の工業計器業界のパイオニアである旧・横河と旧・北辰両社の伝統を受け継いでいる。
横河電機の技術や品質は、世界のトップレベルで、プロセス制御分野では、世界の巨大企業相手に世界市場で善戦し、12%のシェアを握っている。

  • 横河電機製作所

1915年大正4年)に電気計器研究所として創業。工業用計測器の開発・製造を開始し、1920年(大正9年)には株式会社横河電機製作所(YEW)として設立された。創業者の横河民輔博士は、日本を代表する建築家として知られ、日本工業倶楽部日本橋三越等の著名な建築物を設計した人物で、横河工務所(現・横河建築設計事務所)や横河橋梁製作所(現・横河ブリッジ)等を創業した実業家でもあった。横河電機製作所も、当時、輸入に依存していた計測器の国産化に取り組むために設立された。第二次世界大戦中、軍需により急成長し、終戦時は1万人の従業員を擁していたが、戦後、300人の従業員から会社を再建。高度経済成長の中、計測器メーカーから工業計器・プロセス制御機器メーカーに転換して躍進。ヒューレット・パッカードとの合弁による横河ヒューレット・パッカード株式会社(現:日本ヒューレット・パッカードアジレントテクノロジー)の設立、ゼネラル・エレクトリックとの合弁によるGE横河メディカルシステム(現・GEヘルスケア・ジャパン)の設立など、積極的な経営戦略で業界首位を不動のものにした。1982年の時点で従業員約3,000人を擁していた。

  • 北辰電機製作所

1918年(大正7年)に、逓信省を経て、東京帝国大学教授・長岡半太郎の助手をつとめた清水荘平北辰電機製作所(Hokushin)を創業。1934年に株式会社化。戦前は計測器メーカーとしては国内最大手であった。航空・航海計器に強く、大戦中、軍需によって急拡大。終戦時の従業員数は2万人に達した。北辰は軍需への依存度が高かった上、主力工場が戦災で壊滅し、戦後の成長の足かせとなった。戦後、従業員数450名で再建を図り、逸早くコンピュータの分野に進出し、工業計器・プロセス制御機器メーカーに転換した。とくに通商産業省が主導した国家的プロジェクトである国産コンピュータの開発に参画した。住友グループとの関係が深く、1982年時点で、業界3位であり、従業員約2,800名を擁していた。

  • 横河北辰電機発足

1970年代後半に入ると、横河も北辰も、専業メーカーとして、規模を拡大し、国内の大手総合電気メーカーや、海外進出による外国企業との競争に勝ち抜く必要に迫られていた。この状況を共有した横河電機製作所社長の横河正三と、北辰電機製作所社長の清水正博は、両社の統合を決断。かくして1983年、横河電機製作所と北辰電機製作所が合併し、新会社・横河北辰電機株式会社が発足した。従業員数は6,000名を超え、売上高も1,000億円を突破し、工業計器・プロセス制御システム市場で圧倒的なシェアを獲得した。合併により、ハネウェルアメリカ合衆国)に次いで世界第2位の工業計器・プロセス制御システムのメーカーに躍進した。

  • 横河電機

横河北辰電機は、1986年にCIを実施し、旧・横河のブランドマーク「YEW」とともに、北辰の名称も消え、現在の横河電機株式会社(YOKOGAWA)となった。 横河と北辰の合併後、しばらくは好景気に支えられて、業績やシェアを拡大し、合併の効果が表れて、グループは拡大路線へと向かう。紙・パルプのプラント制御では、シェアは80%に達して、ほぼ市場を独占した。合併でほぼ倍増した従業員の活用を図るため、横河レンタ・リースをはじめ、多数の子会社を設立し、経営の多角化を推し進めた。 ところが、バブル崩壊後の縮小経済のもとでは、業績が伸び悩み、経営改革を迫られる。横河が苦心して育てた有力な傘下企業・横河ヒューレット・パッカード(現・日本ヒューレット・パッカード)は、ヒューレット・パッカード米国本社の強気の交渉に負けて、持分を譲渡せざるを得ず、さらには同じくグループの優等生であったGE横河メディカルシステム(現・GEヘルスケア・ジャパン)の実質的な経営権を失った。その他、アジレント・テクノロジー(横河アナリティカルシステムズ)やジョンソンコントロールズ(横河ジョンソンコントロールズ)、トヨタ自動車(トヨタマックス)、早稲田大学(早稲田大学ラーニングスクエア)など相次いで合弁を解消するなどの事業構造の再構築を図った。 また、近年は光通信分野をはじめとする新規投資の失敗や、半導体関連事業の採算の悪化などがたたり、2008年度・2009年度・2010年度の当期利益が赤字になるなど、経営環境の変化に見舞われ、世界第2位から6位に転落した。2010年代も構造改革が進められ、子会社の売却や整理が行われて、グループの事業領域の絞り込みを図った。また、2013年には、営業・保守サービス部門を分割し、横河ソリューションサービス株式会社が発足した。

経営改革[編集]

内田勲社長が会長職につき、海堀周造が社長に就任すると、横河電機は抜本的な改革に踏み切る。海堀の後継の西島剛志社長の2代にわたって、事業構造を制御システム事業中心に絞り込み、横河の伝統的な事業であっても、事業規模が縮小傾向にあったり、利益が薄い事業は、次々に売却するなどして、整理していった。

特筆すべきこととして、グループを挙げて障害者雇用に積極的に取り組み、さらには知的障害者の特例子会社である横河ファウンドリーを設立。民間企業による知的障害者の人的資源としての活用のモデル企業として位置づけられている。

  • 横河まつり

横河電機をはじめグループ会社の本社が集中する武蔵野市では、地域との協調・共存共栄を目指した活動を重視しており、横河電機のグラウンドで毎年開催される「横河まつり」は、グループ従業員とその家族だけでなく近隣住民も参加するイベントとなっている。同イベントでは、横河電機の社長以下役員、グループ会社の社長・役員が模擬店を開いて、自ら来場者のホスト役を演じることが恒例となっている。

歴代経営陣[編集]

歴代社長
氏名 在任期間 出身校 備考
横河一郎 電機学校
2 東郷安 東京帝国大学法科大学政治学科 男爵
3 横河時介 米国コーネル大学  
4 山崎巌 東京帝国大学経済学部商業学科
5 友田三八二 広島高等工業学校電気科 工学博士日置電機顧問
6 松井憲紀 山梨高等工業学校電気科
7 横河正三 1974年~ 慶應義塾大学経済学部
8 山中卓 京都大学工学部
9 美川英二 1993年6月~1999年6月 慶應義塾大学法学部
10 内田勲 1999年6月~2007年3月 慶應義塾大学工学部 美川の在任中死去による自動昇格
11 海堀周造 2007年4月~2013年3月 慶應義塾大学大学院工学研究科
12 西島剛志 2013年4月~2019年3月 東京都立大学理学部
13 奈良寿 2019年4月~ 立教大学法学部

横河グループ[編集]

横河民輔が直接設立した横河グループの源流の横河建築設計・横河ブリッジ・横河電機・横河商事・横河東亜工業は横河五社と呼ばれ持株会社である横河商事の元に運営されていた。戦時中、軍需の受注増大に伴い各社が急拡大する過程で、資本的関係が薄れ、戦後は自主独立の経営を行った。

近年ではもっとも規模が大きい横河電機が、横河商事、横河東亜工業、横河ブリッジに資本参加。横河商事は横河電機の系列会社となる。横河ブリッジについては、筆頭株主として監査役1名(横河電機元副社長)を派遣し、関係が再び強まりつつある。横河建築設計については、横河電機が本社ビル建設の際に設計を委託しており、関係を有する。現在、創業家である横河家からは、中興の祖といわれる横河正三名誉会長以来、横河電機の経営者は出ていない。ただ、関係会社に社長1名、監査役1名に横河家出身者がいる。

国内販売は代理店、特約店販売を主にしている。

主な代理店

沿革[編集]

  • 1915年大正04年) - 建築家・工学博士/横河民輔が、横河一郎・青木晋の参加を得て、東京・渋谷に電気計測の研究所を設立。初代社長は横河一郎。
  • 1920年(大正09年) - 株式会社横河電機製作所と改称。
  • 1930年昭和05年) - ベルギー万国博覧会に電気計測器を出展し、名誉賞を受賞。
  • 1938年(昭和13年) - 第二代社長に東郷安就任。
  • 1940年(昭和15年) - 第三代社長に横河時介就任。
  • 1955年(昭和30年) - (米)フォックスボロー社と工業計器に関する技術援助契約を締結。
  • 1960年(昭和35年) - 第四代社長に山崎巌就任。
  • 1963年(昭和38年) - (米)ヒューレット・パッカード(HP)社と合弁で、横河ヒューレット・パッカード(YHP、現・日本ヒューレット・パッカード)株式会社を設立。
  • 1982年(昭和57年) - (米)ゼネラルエレクトリック(GE)社と合弁で、横河メディカルシステム(現:GEヘルスケア・ジャパン)株式会社を設立。
  • 1983年(昭和58年) - 株式会社横河電機製作所と株式会社北辰電機製作所が合併。横河北辰電機株式会社が発足。
  • 1986年(昭和61年) - CIを実施し、横河電機株式会社と改称。
  • 1989年平成元年) - (米)ジョンソンコントロールズ(JCI)社と合弁で、横河ジョンソンコントロールズ(現・ジョンソンコントロールズ)株式会社を設立。
  • 1992年(平成04年) - (米)ヒューレット・パッカード(HP)社と合弁で、横河アナリティカルシステムズ株式会社を設立。
  • 2002年(平成14年) - 横河ジョンソンコントロールズ株式会社の保有全株式を米国ジョンソンコントロールズ社に譲渡。当時NECグループだった、安藤電気株式会社を完全子会社化。
  • 2004年(平成16年) - 安藤電気株式会社より全事業を譲受
  • 2006年(平成18年) - 横河アナリティカルシステムズ株式会社の保有全株式をアジレント・テクノロジーズ・インクに譲渡。
  • 2012年(平成24年) - 横河オーガニゼーション・リソース・カウンセラーズ株式会社(横河ORC)がマーサージャパン株式会社に合併される。
  • 2013年(平成25年) - 制御・計測機器等の国内販売・保守事業等を吸収分割により子会社の横河フィールドエンジニアリングサービス株式会社に承継させるとともに、同社が横河ソリューションズ株式会社を吸収合併し、横河ソリューションサービス株式会社に商号変更。
  • 2016年(平成28年) - 英国KBC社を完全子会社化[2]
  • 2018年(平成30年) - アムニモ株式会社を設立。横河電子機器の保有全株式を今治造船グループの檜垣産業に売却。
  • 2019年令和元年) - 横河医療ソリューションズの全株式を富士フイルム株式会社に売却。
  • 2021年(令和03年) - 横河バイオフロンティア株式会社を設立。

不祥事[編集]

  • 山形県朝日村の庄内広域水道南部浄水場の計装設備工事
    • 受注の口利きの見返りに4200万円を、加藤紘一代議士事務所の佐藤三郎前代表に提供したことが、2002年3月11日の朝日新聞の一面[3]に報じられた。
  • 横河まつり(2012年7月20日、甲府事業所)で252人の食中毒
    • 2012年7月20日の夏祭りで提供された食品を食べた社員や家族ら、男女252人が腹痛や下痢などの症状を訴え、食中毒の原因となるウェルシュ菌を検出したことが、2012年8月4日付けの山梨日日新聞で報じられた[4][5]
  • 終身雇用宣言
    • 内田勲社長(当時)は、社員に終身雇用を約束し、メディアでも報道された[6]。しかし、その後、事業が行き詰まると、社員を整理をしたが、約束した本人は、その後も会社で働き続けた。[7]一方で、テレビ朝日大谷昭宏も、経営学、経済学上の裏付けもなしに、内田の終身雇用宣言を、美談として、無責任に報道・出版している。

関連会社[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

出典[編集]

  1. ^ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
  2. ^ 英国KBC社の買収(完全子会社化)完了に関するお知らせ - 横河電機公式サイト・プレスリリース(2016年4月)
  3. ^ 「佐藤前代表口利き横河電機も4200万提供」『朝日新聞』2002年3月11日付け朝刊、第12版、第1面
  4. ^ 『山梨日日新聞』2012年8月4日付け朝刊、第2版、第27面
  5. ^ 事業所の祭りで集団食中毒 - NHK山梨県のニュース
  6. ^ 今こそ終身雇用だ!―横河電機の挑戦、大谷昭宏 テレビ朝日事業局出版部 (2000/07)
  7. ^ 横河電機 報告書2002-2010 アニュアルレポート2004-2010

関連項目[編集]

外部リンク[編集]