神通川

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神通川
神通川 2006年7月4日撮影
宮川 2015年2月2日撮影
(上段)夏の神通川
(大沢野大橋(富山市)からの眺め)
(下段)冬の宮川
(古川大橋(飛騨市)からの眺め)
水系 一級水系 神通川
種別 一級河川
延長 120 km
平均流量 163.6 m³/s
(神通大橋観測所 2002年)
流域面積 2,720 km²
水源 川上岳
水源の標高 1,626 m
河口・合流先 富山湾(富山県富山市)
流域 日本の旗 日本
岐阜県富山県
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筏橋からみた宮川(神通川)と中橋
神通川の河川敷に建設された富山空港

神通川(じんずうがわ[1][2]、じんづうがわ、じんつうがわ[3][注 1])は、岐阜県および富山県を流れる一級河川で、神通川水系の本流。上流側の岐阜県内では支流である高原川との合流点より上流を宮川(みやがわ)と称する。

地理[編集]

岐阜県高山市の川上岳(かおれだけ)に源を発し、飛騨高地の中を北に流れる。富山県境付近の神通峡あたりで高原川を合わせ、富山市笹津付近で富山平野に出る。平野部では直線的に北流し、富山湾に注ぐ。

上・中流部は急流で、支流の高原川の水源地域が多雨地帯であるため、昔から水害の生じやすい川として知られている。

河口周辺は富山県指定の「神通川河口鳥獣保護区」として鳥獣保護区に指定されている。

富山県の七大河川(黒部川片貝川早月川常願寺川、神通川、庄川小矢部川)の一つ。

流域の自治体[編集]

主な支流[編集]

自然[編集]

気候[編集]

神通川下流に位置する富山市の年降水量は約2,200mmで、左岸に位置する同市八尾町では約2,500mmである。いずれも夏季の気温が高く冬季の雨量が多い日本海側気候となっている。上流部は高い山々に囲まれた盆地地域で、夏季に雨が多く気温が比較的低い内陸性気候であり、上流部の高山観測所における年降水量は約1,700mmである[5]

地下資源[編集]

高原川沿いには神岡鉱山という大規模な亜鉛・鉛・銀鉱山が所在し、神岡町(現・飛騨市)の小盆地に大規模な鉱山町を形成していた。その採掘の歴史は奈良時代にまで遡るが、2001年平成13年)6月に鉱石の採掘を中止した。

長棟川の長棟鉛山は1626年寛永3年)に山師である大山佐平次が発見したもので、流域に鉱山町を形成したが、昭和10(1935)年には廃村となった。

また、庵谷峠(神一ダム付近)では銀山が所在した。

植生[編集]

上流部の樹木としてはミズナラブナクリなどが多く、その中にアカマツが混じる。植物では、絶滅危惧I類のシャジクモや準絶滅危惧種であるミクリ、岐阜県の準絶滅危惧であるヒメザゼンソウ、チョウジギクなどが確認されている。

下流では、砂礫州にツルヨシが多く、カワラハハコの群落やアキグミ群落、ネコヤナギ群落などが見られる。高水敷は撹乱が少なく安定し、ススキが多く、落葉広葉樹林であるエノキヌルデアカメガシワ、常緑針葉樹林のアカマツの群落が多い。

最下流にはカワラヨモギやカワラハハコの群落があり、高水敷にはオギカナムグラヨモギクズ、アズマハネザサの群落がある。この辺りではススキより帰化植物のセイタカアワダチソウが優勢となる。

動物[編集]

上流部(小鳥川合流より上流)では、鳥類では、サギ類、カモ類、チドリ類、カワガラスカワセミヤマセミの他に絶滅危惧II類であるオオタカサンショウクイ、環境省指定の準絶滅危惧のチュウサギハチクマハイタカが確認されている。哺乳類では、ニホンザルツキノワグマタヌキアナグマの他に国指定特別天然記念物のニホンカモシカが確認されている。

魚類・水生生物[編集]

上流部の魚類では、アユウグイオイカワカワムツアブラハヤイワナニジマス、カワヨシノボリ等の他に、絶滅危惧II類に指定されるアカザスナヤツメが生息する。

下流部には瀬と淵が形成され、アユ、サクラマス、アカザ、スナヤツメなどの希少な魚類が生息する。ワンドにはフナコイが生息するが、外来生物のブルーギルも繁殖を続けている[6]

神通川水系[編集]

神通川流域は、富山、岐阜両県にまたがり、富山市、南砺市、岐阜県の高山市、飛騨市の4市からなる。流域の土地利用は、山地が約87%、水田・畑地が約9%、宅地等が約4%となっている。

流域人口は37万7000人で、支川数は105であった。

支流と流域自治体[編集]

下流の富山平野区間では排水河川の役割もしており、右岸には常願寺川扇状地に押し出されるように神通川に合流した小河川が複数ある。

また、第一支流の井田川とその第二支流の久婦須川は両県に跨る大河川である。

名前の由来[編集]

神通川という名前の由来については大まかに2つの説がある[7]

  • 川を挟んで鵜坂神社多久比禮志神社(塩宮)の神が交遊されていたので、「神が通られた川」という意味から神通川と呼ばれた。
  • 太古の昔、神々が飛騨船津から乗船し、越中の笹津に着船されたことから神通川と呼ばれた。
  • 神通力に由来するという説があるが、確実なものではない。

一方、岐阜県内の「宮川」という名前はこの川の源流付近に飛騨国一宮である水無神社があることに由来する[8]

歴史[編集]

先史[編集]

万葉集』に「売比川(婦負川)」「鵜坂川」の名があり、神通川の古名と見られている(鵜坂川は井田川のこととする説もある)。

サケやマス(サクラマス)が遡上する川としても知られていた。平安時代延喜式には、都への献上品として神通川のサケのなれ寿司が登場する[9]。後に、神通川から取れるサクラマスを使った鱒寿司は富山の名物となった。サクラマスの漁獲量は激減したが、神通川に近い市街地には鱒寿司を製造する店が多く存在する[10]

河川改修事業[編集]

1918年大沢野村から河口までの約20kmの川幅を広げ、両岸の護岸を統一的に見直す改修事業が開始され、予算や工期を見直す等して、1938年3月に完了した。[11]

かつての神通川は、富山の街の中を東に大きく蛇行し、河口が現在より西側に位置していた。戦国時代には神通川のすぐ脇に富山城が築城され天然の堀として利用された。この際、佐々成政によって洪水による流路変更を利用して富山城の北側に流れるよう流路を付け替えている[12]

しかし蛇行部分でたびたび水害が発生していたため、明治時代に、蛇行部分を短絡する分流路を作り、一定量を超える洪水は、新たに造った分流路(馳越線)に流れるようにした。しかし、洪水の度に、馳越線の方が本流のようになり、本来の本流には水が流れないようになってきたため、馳越線の方を本流とした。馳越線工事後の旧川については、水の流れを締切り[11]、水が流れなくなった部分には1930年から建設が始まった富岩運河から出た大量の土砂で埋立て川幅を狭め、旧来の本流は松川と名を改めた。埋立地となった廃川敷には1936年には町名が設定がなされ[13]日満産業大博覧会の会場となるなど区画整理と土地利用が徐々に進み、県庁、市役所などの施設が建設されていった。

河口部分については、1928年3月に東岩瀬港(現・富山港)と分離され、現在の流路が確定した[14]

この事業では他にも、八尾町の中神通と西神通の輪中堤も整備された[11]

災害[編集]

  • 1914年(大正2年)8月13日 - 大水害。死者54人、行方不明60人[15]
  • 1948年(昭和23年)7月25日 - 集中豪雨による増水のため富山市内の堤防左岸が決壊、浸水家屋800戸以上。また、神通大橋の中央部が流失した[16]

公害[編集]

高度成長期、主に大正時代から昭和40年代にかけて神通川流域でイタイイタイ病が問題化した。これは、岐阜県神岡鉱山三井金属鉱業株式会社管理)から出された廃液中のカドミウムを原因とする公害病であった。

「ビタミンD不足説」と「カドミウム原因説」に意見が分かれたが、婦中町(現富山市)にある萩野病院(当時)の院長である萩野昇が神通川流域のカドミウムが原因だと突き止めた。

文化作品[編集]

新田次郎イタイイタイ病を扱った『神通川』という小説がある。常願寺川と神通川をつなぐいたち川は富山に住んでいたことがある作家宮本輝の小説『螢川』の舞台となっている(1987年に映画化)。

河川施設[編集]

一次
支川名
(本川)
二次
支川名
三次
支川名
ダム名 堤高
(m)
総貯水
容量
(千m3)
型式 事業者 備考
神通川 宮川防災ダム 29.0 1,628 アース 岐阜県
神通川 角川ダム 21.5 879 重力 関西電力
神通川 坂上ダム 23.5 1,839 重力 関西電力
神通川 打保ダム 25.5 4,524 重力 関西電力
神通川 神一ダム 45.0 5,742 重力 北陸電力
神通川 神二ダム 40.0 8,663 重力 北陸電力
神通川 神三ダム 15.5 1,455 重力 北陸電力
大八賀川 大島ダム 53.1 4,720 重力 岐阜県 建設中
小八賀川 深谷ダム 27.3 300 ロックフィル 岐阜県
荒城川 丹生川ダム 69.5 6,200 重力 岐阜県
小鳥川 下小鳥ダム 119.0 123,037 ロックフィル 関西電力
高原川 浅井田ダム 21.1 340 重力 北陸電力
高原川 新猪谷ダム 56.0 1,608 重力 北陸電力
高原川 双六川 双六ダム 19.0 重力 富山共同自家発電
高原川 山田川 山田防災ダム 32.3 1,246 アース 岐阜県
熊野川 熊野川ダム 89.0 9,100 重力 日本海発電
井田川 猿越ダム 29.6 重力 富山県企業局
井田川 中山ダム 24.0 111 重力 富山県企業局
井田川 室牧ダム 80.5 17,000 アーチ 富山県企業局
井田川 八尾ダム 21.0 300 重力 富山県企業局
井田川 大足谷川 仁歩水槽ダム 19.9 111 重力 富山県企業局
井田川 野積川 原山ダム 18.5 35 アース
井田川 久婦須川 久婦須第二ダム 18.6 132 重力 北陸電力
井田川 久婦須川 久婦須川ダム 95.0 10,000 重力 富山県企業局
井田川 山田川 菅沼ダム 22.0 524 重力 富山県企業局
井田川 山田川 若土ダム 26.0 242 アーチ 富山県企業局
井田川 山田川 湯谷川 湯谷川ダム 63.7 1,636 ロックフィル 富山県企業局
井田川 山田川 辺呂川 藤ヶ池 18.2 615 アース 富山県企業局

並行する交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

  • 国道41号 - 高山市・宮峠 - 富山市市街地。ただし、飛騨市内で宮川(神通川)は大きく西に蛇行するのに対し、国道41号は数河峠を越え高原川に沿うルートを通ってショートカットする。
  • 国道360号国道471号国道472号) - 国道41号がショートカットする区間で宮川に並行する。

主な橋梁[編集]

笹津橋(手前)と新笹津橋(奥)
神通大橋

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「神通川」の3目を濁音とする場合と清音とする場合があり、濁音とする場合の仮名表記に「じんずうがわ」と「じんづうがわ」が見られる。「神通川」の語源には諸説があり[4]、語源からは仮名表記を定めがたい。名詞「神通」の仮名表記によることとすれば、現代仮名遣いでは「じんずう」が本則、「じんづう」が許容である。ただし、現代仮名遣いは固有名詞をかならずしも対象としておらず、実際には「じんずうがわ」・「じんづうがわ」のどちらの表記も広く通用している。

出典[編集]

  1. ^ 建設省国土地理院地図管理部『標準地名集(自然地名)増補改定版』(1981年3月)
  2. ^ 小学館. “じんずうがわ【神通川】”. デジタル大辞泉. NTTレゾナント. 2014年6月4日閲覧。
  3. ^ 国立天文台編『理科年表 平成24年』602頁「日本のおもな河川」(国土交通省水管理・国土保全局資料による)
  4. ^ お気軽に おたずねください レファレンス事例集 Q 神通川の名前の由来が知りたい? (PDF) 」 『ライブラリィとやま』第72号、富山県立図書館、2013年3月15日、 3頁、2017年3月10日閲覧。
  5. ^ 神通川水系の流域及び河川の概要(案) (PDF)”. 国土交通省河川局 (2008年2月21日). 2019年8月16日閲覧。
  6. ^ 神通川計画 富山県
  7. ^ 甦った豊かな水と大地 イタイイタイ病に学ぶ”. 富山県. p. 4. 2019年9月6日閲覧。
  8. ^ 市町村・地名の由来【飛騨エリア】 - 岐阜県雑学”. gifu-omiyage.sakura.ne.jp. 2019年9月6日閲覧。
  9. ^ 神通川が生んだ名物 富山、ますのすし-森枝卓士WEDGE(2017年1月3日閲覧)
  10. ^ 鱒寿司食べ歩きマップ富山ます寿し協同組合ホームページ
  11. ^ a b c 『河川の歴史読本 神通川』(2001年3月、国土交通省北陸地方整備局富山工事事務所企画・制作)34ページ。
  12. ^ 『河川の歴史読本 神通川』(2001年3月、国土交通省北陸地方整備局 富山工事事務所企画・制作)18ページ。
  13. ^ 富山市史編纂委員会編『富山市史 第二編』(p639)1960年4月 富山市史編纂委員会
  14. ^ 角川日本地名大辞典 16 富山県(昭和54年10月8日、角川書店発行)586ページ
  15. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』303頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  16. ^ 「北陸三県に豪雨禍」『朝日新聞』昭和23年7月26日.2面

外部リンク[編集]