アイドル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

アイドルは、英語の「idol」(偶像、 崇拝される人や物)[1]から転じて、人気者の意となり[2]、現在では「熱狂的なファンを持つ若い歌手、俳優、タレント」などをいう[3]

稲増龍夫やカネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義している[4]

概要[編集]

キャラクター性を全面に打ち出し、ダンス演技お笑いなど幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である[4]。外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[4]

アイドルの起源[編集]

欧米では1939年にはジュディ・ガーランドが『オズの魔法使い』で一躍アイドル・スターになり、1940年代idolと呼ばれたという説もあるフランク・シナトラよりも早かった[5]

日本におけるアイドル[編集]

日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられた[6][注 1]明日待子は「日本で最初のアイドル」(の一人)として挙げられる[7][8]

1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[注 2] が巻き起こる過程で、徐々に「スター」と並行して「アイドル」の呼称が用いられるようになった[9]1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された。1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[10]

その後、現在に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない感動しやすい習性、精緻なる感受性をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、保守派の民俗学者・柳田國男の評論が持ち出されるケースがある[11]。なお、日本におけるアイドルの隆盛時期は、不況の期間とほぼ完全に一致している、という分析もある[12]

男性アイドル史[編集]

1950年代、1960年代の男性アイドル[編集]

1950年代ロカビリーブームでは平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎が、女性から黄色い歓声を浴びる、戦後最初期の男性アイドルとなった。1960年代に「御三家」と呼ばれた西郷輝彦らが人気となり、ほどなく三田明も登場した。

グループ・サウンズのタイガース、テンプターズ、オックス、ジャガーズ、ワイルドワンズらが大人気となった[13][14]。グループ・サウンズでは、ザ・タイガース沢田研二ザ・テンプターズ萩原健一、らが特に人気があった。

また、ジャニーズ、スリー・ファンキーズらの、いかにも芸能的・商業主義的なアイドルも存在した。1970年代新御三家ら、ジャニーズあおい輝彦ら、時代に即したスターが登場した。週刊明星、週刊平凡、ブロマイド店などは、人気のバロメーターになっていた。

1970年代[編集]

郷ひろみ西城秀樹野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した。更に、ザ・タイガースの後もソロとして活動を続けた沢田研二は、ソロデビュー後も次々と大ヒット曲を世に送り1977年の「勝手にしやがれ」では、同年の『日本レコード大賞』を受賞するなどとしてソロデビュー後も人気を保ち70年代をも代表するアイドル歌手となった。ザ・スパイダース堺正章井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズ萩原健一オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。 新御三家の他にはフォーリーブスジャニーズ事務所所属)やフィンガー5にしきのあきら野村将希伊丹幸雄荒川務らが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。

この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[15]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕(ジャニーズ事務所所属)のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介渋谷哲平川崎麻世(ジャニーズ事務所所属)らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。

一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和石橋正次桜木健一草川祐馬国広富之などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場、「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)が大ヒットした。沖雅也日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、テレビドラマに進出してからアイドル的人気を得た。仲雅美井上純一は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によって人気となった。仲雅美は「ポーリュシカ・ポーレ」(ロシア民謡が原曲)の大ヒット曲をはなった。

シンガーソングライターの原田真二も当初は、アイドルとして売り出された。

1980年代[編集]

1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦近藤真彦野村義男から成るたのきんトリオジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。

ジャニーズ事務所は、その後も、本木雅弘薬丸裕英布川敏和から成るシブがき隊や、少年隊光GENJI男闘呼組忍者といった人気グループを次々と輩出した。ソロではひかる一平中村繁之がデビューした。また、『金八シリーズ』からは他に竹の子族出身の沖田浩之が人気アイドルとなった。ソロ歌手としては他に竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎新田純一などが挙げられる。

原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾萩本欽一の番組でブレイクする。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多い。イモ欽トリオCHA-CHA勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)など。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊野々村真ら)がアイドル的な人気を得た。

ジャニーズ事務所は60年代、70年代は経営が不安定だったが、80年代には盤石の状態となり、ライバルはチェッカーズ、渡辺プロダクションの吉川晃司であった。ジャニーズ事務所からはテレビドラマでも活躍した岡本健一前田耕陽高橋和也男闘呼組もハードロック・バンドとしてデビューし、アイドルとしてのバリエーションが多岐に渡るようになった。

この頃はまだ俳優もアイドル風に売り出されるものがおり、JAC出身の真田広之石黒賢角川映画野村宏伸、『金八シリーズ』出身の鶴見辰吾、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした仲村トオル横山やすしの息子の木村一八、子役アイドルの高橋良明らがいた。人気が下降してからの『太陽にほえろ!』に出演した渡辺徹は、後に「デブタレント」として人気司会者となるが、その時点では精悍なマスクが人気で、曲「約束」が1982年の年間ランキングで33位のヒットとなった[16]

1990年代[編集]

主にジャニーズ事務所が送り出したグループの時代であり、当初は光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、バンドブームの到来や元ジャニーズ事務所所属のタレントの暴露が続く等の煽りで失速。女性アイドル同様に冬の時代を迎えていたが、中盤からは、デビュー当初から様々な分野での活躍が目立ったSMAPが国民的アイドルと言われ現在に至る人気を確立し、更に、KinKi KidsTOKIOV6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉は俳優として、中居正広はバラエティー番組の司会のみならず、NHK紅白歌合戦等の司会を最多で務めるなど、従来のアイドルには無かった地位を確立し、その他のメンバー個人も個々の活動で成功した。また、SMAPがテレビの第一線で長期で活躍する影響もあり、30代、40代でもアイドルとして活躍でき、男性アイドルの寿命が伸びた。

そういった90年代のジャニーズ全盛期に対抗してライジングプロダクション男性アイドルのプロデュースに力を入れるようになった。

1997年に事務所初の男性アイドルグループDA PUMPをデビューさせ、グループの構成や音楽スタイルで差別化を図ってバラエティ音楽番組CM映画ラジオなどにも多数出演しながら「NHK紅白歌合戦」には5年連続で出場するなど大衆から人気を集めた。

また若手俳優からは織田裕二福山雅治、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。お笑い界からは吉本印天然素材グレートチキンパワーズ猿岩石ネプチューンなどが一時期、アイドル的な人気を博した。また余談ではあるが、ヴィジュアル系バンドも派手な外見と華やかなステージ(パフォーマンス)で若い女性ファンを中心に人気を博し、90年代の音楽シーンを盛り上げた。こちらも男性アイドルと似たような感覚だと見ることもできる。

2000年代[編集]

前半はライジングプロダクションから結成されたw-inds.Leadが優れた歌とダンスを武器に活躍する。特にw-inds.はジャニーズ系とは違った中性的なイメージとアイドル的な楽曲で新人賞を総なめにするなど大人気を得た。ジャニーズ事務所からはタッキー&翼NEWSKAT-TUNHey! Say! JUMPらが台頭。また、かつて1990年代にZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILEもボーカルとダンスの分かれた構成と他の男性アイドルとは違った音楽・コンセプトで人気を獲得し、活躍の場を広げる。以降、アイドルグループは歌やダンスの実力にも重点を置くようになり、ダンスグループまたはダンス&ボーカルグループといった表現が使われる事が多くなった。(女性アイドルも同様)

後半は『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや新選組リアン、あくまでも「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバー、東方神起BIGBANGといった韓流アイドル、或いは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平溝端淳平ら、また、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽仮面ライダーシリーズ出身のオダギリジョー要潤水嶋ヒロ佐藤健スーパー戦隊シリーズ出身の松坂桃李といった若手俳優もジャニーズに対抗しながらアイドル的な人気を得てブレイクする。お笑い界からは、オリエンタルラジオはんにゃらが若年層から人気を集めた。

一方で、2000年前後の頃から「アイドルのファン、追っかけイコール中高生」というイメージは変わり、年配女性の追っかけ行為が盛んに報道されるようになった。先んじて1990年代にアイドルの先駆けであった舟木一夫の復活[17]、2002年にはフォーリーブスが再結成した。とりわけ2000年デビューの氷川きよしは久々に演歌界に大ヒットをもたらしたのみならず、熱心な年配女性のファンを生み、「きよ友」と称したファン仲間たちの交流はマスメディアに紹介されるのみならず[18]、年配の視聴者をターゲットにしたテレビドラマの題材にもなった[19]

2010年代[編集]

ジャニーズに所属するが大衆的な人気を得てSMAPに続いて国民的アイドルとなる。

嵐が国民的グループとして活動する中、SMAPの解散や期待の主だったKAT-TUNがメンバー脱退などの内紛を経験したが、Kis-My-Ft2SexyZoneジャニーズWESTなど2010年代以降、新たにデビューしたジャニーズアイドルが人気を繋げた。LDHのEXILE系列グループは若年メンバーが数多く登場してきてアイドル性が強化され、正統派で王子系のジャニーズに比べて男性のセクシーなイメージと大衆の志向に合致する楽曲で女性層はもちろん若い男性層にも好評を得た。

さらに、2012年に入って日韓の政治的関係が徐々に冷却され、これによりK-POP男性グループが日本人の嫌悪感の対象となり日本のテレビ番組などに出演することが、非常に困難となった。

スターダストプロモーションフォーチュンエンターテイメントといった他の芸能事務所からもジャニーズとは異なるコンセプトで男性アイドルグループが多数デビューして日本武道館公演を成功させるなどの勢いを見せたが、これらのアイドルたちは事実上「ジャニーズの後追い(フォロワー)」といった印象が強く、女性アイドルと同様に小規模のライブや握手会などをメインに活動するため明確な成果はなかった。その代替材としてYouTubeで活動しているHIKAKINはじめしゃちょーをはじめ、東海オンエアフィッシャーズといった男性ユーチューバーたちが「近所のお兄さん」・「男友だち」的な感覚で視聴者と身近に繋がれる存在として男性アイドル的なポジションとなり、テレビ番組の出演やU-Fes[注 3] などのライブイベントを開催して10代の女子層(中高生)を中心に絶大な人気を獲得した。また同時期にはエグスプロージョン(EDISON)やRADIO FISHの「PERFECT HUMAN」が話題となり、お笑い芸人とダンサーがユニットを組んで人気を集めた。一方でライジングプロダクションの男性アイドルは活動が多く減っていたが、2018年にはDA PUMPが「U.S.A.」のヒットを受けて再ブレイクを果たした。以降、メディア露出も増加している。

この世代に活動した男性アイドルは、三代目 J Soul Brothersを筆頭に、GENERATIONSTHE RAMPAGEFANTASTICS関ジャニ∞KAT-TUNNEWSHey! Say! JUMPKis-My-Ft2Sexy ZoneA.B.C-ZジャニーズWESTKing & Prince超特急DISH//BOYS AND MEN祭nine.などが挙げられる。

またアダルトメーカーSILK LABOの作品に出演している鈴木一徹をはじめ、月野帯人森林原人しみけんといった若手AV男優も女性視聴者から一時期にアイドル的な人気を得た。年配女性をターゲットとした演歌アイドルとしては山内惠介純烈、俳優面からは星野源をはじめ菅田将暉竹内涼真福士蒼汰山﨑賢人横浜流星北村匠海中川大志などの若手俳優陣、宮野真守神谷浩史Kiramuneといった声優アイドルの活躍も目立った。

2020年代[編集]

テレビでの活躍が目立つ男性アイドルは、ジャニーズLDH系列グループ以外ではJO1がバラエティを中心に活躍している。

吉本興業が男性アイドルを売り出しており、INIOCTPATHOWVといったグループがデビュー。またAAAのメンバーである日高光啓(SKY-HI)がボーイズグループ発掘オーディション「THE FIRST」を、テレビ神奈川(TVK)が開局50周年を記念してボーイズグループ「Bay School Boys」のオーディションを開催。

現在の男性アイドルは、SixTONESSnow ManDA PUMPなにわ男子King & PrinceJO1Da-iCECUBERS原因は自分にある。BALLISTIK BOYZVOYZ BOYZero PLANETプラチナボーイズBE:FIRSTBUDDiiS7ORDEROCTPATH、などが挙げられる。お笑い界からはEXITが、Youtuberではコムドットなどが若い世代からアイドル的な人気を得ている。

一方、中国では2021年に大衆文化芸術全般への整風運動として、男性アイドル(女性アイドルも含む)の容姿や活動を規制し[20]、アイドル育成番組を「低俗で下品な娯楽」として放送を禁止した[21]

主な男性アイドル[編集]

1960年代[編集]

歌手デビュー年

歌手デビュー年

1980年代[編集]

歌手デビュー年

1990年代[編集]

歌手デビュー年

2000年代[編集]

歌手デビュー年

2010年代[編集]

歌手デビュー年

2020年代[編集]

歌手デビュー年

女性アイドル史[編集]

「アイドル」以前[編集]

1950年代から1960年代にかけて日活青春映画などに出演していた吉永小百合美空ひばりなどが活躍していた時代であり、またそのひばりに江利チエミらを加えた「三人娘」や伊東ゆかり中尾ミエ園まりからなる「スパーク三人娘」、ザ・ピーナッツなどが現在のアイドル的なポジションで活動していた。

1970年代[編集]

1970年代には量産される女性タレントを多少の揶揄の意味を込めて「かわい子ちゃん歌手」と呼ぶ風潮があったとのことである[22]山口百恵森昌子桜田淳子花の中三トリオ)、南沙織天地真理小柳ルミ子岡崎友紀麻丘めぐみ浅田美代子伊藤咲子アグネス・チャン岩崎宏美太田裕美木之内みどり高田みづえ大場久美子石野真子といったソロアイドル歌手が多く台頭。またピンク・レディーキャンディーズは、対照的な形で1970年代末のアイドルシーンを牽引した。

1980年代[編集]

1980年代に入り、松田聖子小泉今日子中森明菜菊池桃子早見優堀ちえみ石川秀美松本伊代河合奈保子柏原芳恵ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の呼称が市民権を得るようになった[23][24]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージック勢が優勢であったが[24]、1982年に小泉と中森がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[25]

1980年代中盤には、岡田有希子本田美奈子.荻野目洋子長山洋子(後に演歌歌手へ転向)がデビューしている。また、森口博子井森美幸山瀬まみらは歌手としては大成しなかったが、バラエティーアイドルとしてのジャンルを確立した。もっとも、森口博子は機動戦士ガンダムシリーズの主題歌を中心とした活動で一定の評価を得ている。

また、中盤にブレイクしたおニャン子クラブはフジテレビ系夕方の番組内のオーディションから誕生。高校生を中心に多くのメンバーが在籍し、新田恵利国生さゆり河合その子福永恵規城之内早苗渡辺美奈代渡辺満里奈工藤静香らがソロデビューしている。うしろゆびさされ組うしろ髪ひかれ隊ニャンギラスら派生ユニットを次々と生み出す流れはその後のアイドル文化となった(うしろゆびさされ組の高井麻巳子岩井由紀子とうしろ髪ひかれ隊の工藤静香はソロでも活動)。

1980年代後半から、中山美穂南野陽子浅香唯酒井法子、工藤静香 (前述のおニャン子クラブ出身)らが台頭し、特に中山美穂(女優と並行)と工藤静香は90年代中盤まで活躍した。また後藤久美子小川範子坂上香織喜多嶋舞宮沢りえらローティーンの子役やモデルらがテレビ・CM等を中心に美少女ブーム[26] を牽引した。デュオとしては、Winkが独特の振り付けで話題となり、レコード大賞を受賞した。

このように数多くデビューはしたが、長らく歌手として活躍できたのは松田・中森・小泉等ごくわずかで、多くは女優や歌手以外のタレント業へとシフトして行った。

1990年代[編集]

1990年代に入るとアイドル人気が下火となり、音楽番組も次々と打ち切られる状況になる。「アイドル冬の時代」と言われる状況の中で、高橋由美子観月ありさ宮沢りえ牧瀬里穂(「3M」と称された。命名者は中森明夫)らが登場、グループではCoCoribbon東京パフォーマンスドールSUPER MONKEY'SC.C.ガールズMi-KeMelodyといったアイドルが活躍。

1990年代半ばには、小室哲哉がプロデュースしたソロアイドル歌手である安室奈美恵華原朋美が登場して互いに競争し、内田有紀浜崎あゆみらが台頭。一方、グループアイドルではSPEEDモーニング娘。が大成功を収めた。1990年代後半になると、鈴木亜美広末涼子が登場。

1990年代アイドルの特徴として、1980年代とは逆に女優・モデル指向でも歌手デビューするケースが多い事が挙げられる(高橋、観月、宮沢、牧瀬、内田、広末、松たか子等)。

上記とは別に、谷村有美永井真理子森高千里(上記の松も含む)等アイドル性を持ちながら自ら作詞,作曲を行う若手の女性歌手も登場し、活躍した。詳細はGiRLPOPを参照。また、ビーイング系を中心としたZARDMANISHKIX-SEvery Little ThingPAMELAHFavorite Blueら、グループを含め従来のアイドル枠には収まらない女性ヴォーカルが活躍した時代でもあった。

2000年代[編集]

2001年には、ハロー!プロジェクト内で松浦亜弥がデビュー、容姿と歌唱力も相まっていた。

2005年には秋元康がプロデュースを行うAKB48が結成され、2007年の『紅白歌合戦』に中川翔子リア・ディゾンと共に「アキバ系アイドル」枠で出場した[27][28]2007年にはPerfumeがブレイクし、音楽面から人気を獲得した。

AKB48グループは、AKB48劇場に基づいて総選挙握手会といったシステムを導入し、2000年代後半から2010年代前半にかけて東京・名古屋大阪福岡など拠点のアイドルグループを作ってそれを全国的に繋げるというユニークな形で成功した。AV女優グラビアアイドルモデルなどの多業種のタレントで構成された恵比寿マスカッツも人気を集めた。

2010年代[編集]

2010年代に入ると、「アイドルを名乗るタレントの数が日本の芸能史上最大」[29] という状況になり、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった[30][31]ソニーミュージックが手掛け、秋元康がプロデュースする乃木坂46欅坂46(後に櫻坂46へ改名)日向坂46ら坂道シリーズのブレイク、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZの女性グループ初となる国立競技場ライブ開催[32]、ハロー!プロジェクトからスマイレージ(後にアンジュルムへ改名)Juice=Juiceカントリー・ガールズこぶしファクトリーつばきファクトリーBEYOOOOONDSが安定した人気を保つなど、多数のグループが次々と活躍した。EXILEが所属するLDHからデビューしたE-girls(アイドルはなくダンス&ボーカルグループに分類されることが多い)や、Perfumeが成功したアミューズからは「アイドルとメタルの融合」をテーマに結成されたBABYMETALなどもブレイクし、さらにK-POPではKARAや少女時代が日本でも人気になった。

2010年から始まった、女性アイドルの大規模フェスTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の規模も、200組以上もの出演者が参加するまでになっている[33]。さらには、新潟Negicco宮城Dorothy Little Happy愛媛ひめキュンフルーツ缶福岡LinQなど、ローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる、地域に密着したアイドルも相次いで全国デビュー[29][30]。中には福岡のRev. from DVLに所属していた橋本環奈のように、個人で全国区の人気を集めたケースもある。日本ご当地アイドル活性協会代表の金子正男[34][35]によると、東京拠点の1500組を除いた全国46道府県のアイドルは、2021年7月1日現在で2132組存在する[36]

2010年代終盤では、新たにでんぱ組.incBiSHなどがコンサート・ライブでの成果を見せたが、従来のコンセプトを抜け出せない量産型アイドルが増えており、ほとんどが小規模のライブや握手会などのいわゆる接触イベントといったマイナーアイドルの活動方式に従うので、大衆的にアピールするのが難しい状況である。実力派アイドルの空席を埋める形でTWICEをはじめとするK-POPアイドルグループが日本に進出し、需要を満たしているのではないかという見方もある。さらにAKB48グループ韓国CJ ENMによる日韓合同アイドルグループIZ*ONE宮脇咲良(当時HKT48)らも参加した。

2020年代[編集]

2020年は、新型コロナウイルス (COVID-19) の影響により、アイドルの収入源であるライブ公演やグッズ販売が困難となり、大きな支障をきたしている。この問題はアイドルだけでなく芸能界全体にも関係するが、特に握手会などで利益を出していたアイドルは打撃が大きく、2022年には秋元康が参画したラストアイドルの活動終了が発表された。坂道シリーズPerfumeAKB48グループハロー!プロジェクトSTARDUST PLANETといった既に人気のあるグループを除いた場合、アイドルたちの活躍はほとんどテレビでは見られない。日本のソニーミュージックと韓国のJYPエンターテインメントによる共同ガールズグループプロジェクトであるNizi ProjectからNiziUが2020年12月2日にデビューした。Youtuber側ではてんちむくれいじーまぐねっと、平成フラミンゴなどが人気を得ている。

近年、かつては女性アイドルは20代前半までにグループから卒業することが多かったが、20代後半で卒業する者が多くなり、30歳を過ぎてもグループに在籍している者も出るなど、女性アイドルの寿命が伸びつつある。男性アイドルと同様、女性アイドルも飽和状態となり、米津玄師あいみょんOfficial髭男dismといったアーティストの台頭・人気によって下火の状況となっている。

洋楽アイドル[編集]

50年代にはアネットボビー・ライデルファビアンコニー・フランシスらが、また60年代にはモンキーズシルヴィ・バルタンフレンチ・ポップスのアイドル、イタリアのジリオラ・チンクエッティボビー・ソロらが人気となった。俳優ではジョン・モルダー・ブラウンレナード・ホワイティングレイモンド・ラブロック(レイ・ラブロック)、ビョルン・アンドレセンらが日本でも人気になっている。レイフ・ギャレットマーク・ハミルマーク・レスタージャン・マイケル・ヴィンセントジャック・ワイルドなどの人気俳優も、欧米や日本のティーンエイジャーの間で人気だった。彼らはアイドルとして十代の雑誌の表紙やグラビアに掲載された。

多くの10代のアイドルの特徴の1つは、ファン(場合によってはミュージシャン自身)が大人になると自分たちが過去に聴いていた音楽を嫌う傾向もあり、大人にはあまり聞かれない場合もある。バブルガムポップのティーンアイドルパフォーマーは、デヴィッドとショーンのキャシディ兄弟、レイフ・ギャレット、オズモンド・ブラザーズ(特にダニー・オズモンドとマリー・オズモンド)、トニー・デフランコとザ・デフランコ・ファミリーなどがいた。アフロアメリカンのアイドル・グループ、ジャクソン5マイケル・ジャクソンビージーズのギブ兄弟の末弟アンディ・ギブはディスコサウンドで大ヒットを連発した。さらに70年代後半の日本では、イギリスのアイドルグループ、ベイ・シティ・ローラーズが大人気になった。80年代前半に英米と日本で人気を博したデュラン・デュランらは、ニューロマンティックとして、ビジュアルを強調して売り出された。日本でのみ人気となった洋楽アイドルも現れ、イギリス人のバンドG.I.オレンジが成功を収めた。ボン・ジョヴィも当初はアイドル的に売り出されたが[37]、80年代後半には欧米で高い人気を獲得し、ハードロック/ヘヴィメタルブームの中心となった。

1950年代[編集]

  • アネット
  • ボビー・ライデル
  • ファビアン
  • コニー・フランシス

1960年代[編集]

1970年代[編集]

1980年代[編集]

1990年代[編集]

2000年代[編集]

2010年代[編集]

文献[編集]

  • 青木一郎[注 4]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
  • 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫1993年
  • 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日、 NAID 110002940787
  • 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、 43-58頁、 NAID 110006159892
  • 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[38]
  • 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 映画の中のみでなら、1938年松竹映画・『愛染かつら』で使用された例がある。またフランス映画の『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開された。
  2. ^ 絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダースザ・タイガースザ・テンプターズなど。
  3. ^ UUUM所属クリエイターのイベント。
  4. ^ MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去。

出典[編集]

  1. ^ アイドル(あいどる)とは”. デジタル大辞泉の解説. コトバンク. 2015年6月7日閲覧。
  2. ^ 『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
  3. ^ 『精選版 日本国語大辞典』小学館
  4. ^ a b c アイドルとは何か”. 産経デジタル. 2016年1月26日閲覧。
    アイドル特集【総論】改めての素朴な疑問「アイドルとは何か?」”. ダ・ヴィンチニュース. 2016年1月26日閲覧。
  5. ^ ザ・ビートルズ1962年〜1966年ザ・ビートルズ1967年〜1970年(東芝EMIアナログ盤)付録:石坂敬一による論文より
  6. ^ 『YOUNGヤング』・1964年4月号より。
  7. ^ 日本初のアイドルがファンと72年ぶりの再会「生きていてよかった」”. スポーツ報知. 2017年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月24日閲覧。
  8. ^ 『幻の近代アイドル史』(2014年刊・笹山敬輔/著、ISBN 4779170141
  9. ^ 『別冊キネマ旬報』・1968年10月号より。
  10. ^ 「J-POPを殺したのはソニー」 知られざる音楽業界のタブー(1/2ページ) 産経新聞大阪本社2013年7月15日
  11. ^ 安西信一『ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密』廣済堂出版、2013年4月13日。
  12. ^ アイドルと景気の意外な相関関係を徹底検証 Webマガジン 月刊チャージャー 2005年12月号”. 月刊チャージャー. 2013年3月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年5月13日閲覧。
  13. ^ タイガース アルバム 2021年2月4日閲覧
  14. ^ タイガースVSワイルドワンズ 2021年2月4日閲覧
  15. ^ 1970年代 人気男性アイドル/年代流行
  16. ^ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン ~蘇る!80’sポップスHITヒストリー~』(角川インタラクティブ・メディア)p.92 - 93
  17. ^ ザ・ノンフィクション 舟木一夫はタイムマシン〜いつまでも「高校三年生」〜
  18. ^ 博多どんたく 前夜祭整理券を配布 観光桟敷席4年ぶり復活 西日本新聞、2017年04月20日
  19. ^ 『女三人乱れ咲き!氷川きよし追っかけツアー殺人事件』 テレビドラマデータベース
  20. ^ kpopnews365 (2021年9月5日). “「女性っぽい男性芸能人はK-POPのせい」中国が芸能規制強化へ「中国籍 以外を排除」など(中国活動に影響) |” (日本語). 2021年10月10日閲覧。
  21. ^ 中国、アイドル育成番組の放送を禁じる 「低俗で下品」” (日本語). 毎日新聞 (2021年9月4日). 2021年10月10日閲覧。
  22. ^ 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p40
  23. ^ 『アイドル工学』・P.69より。
  24. ^ a b 「アイドル考現学」『TVガイド』2月6日号、東京ニュース通信社、1981年、20-21頁
  25. ^ “Pop 'idol' phenomenon fades into dispersion - The Japan Times”. ジャパンタイムズ (ジャパンタイムズ). (2009年8月25日). http://www.japantimes.co.jp/news/2009/08/25/news/pop-idol-phenomenon-fades-into-dispersion/ 2013年5月13日閲覧。 
  26. ^ 1980年代後半の「美少女ブーム」を牽引した美少女たち 10選:後藤久美子・小川範子・坂上香織・宮沢りえ・観月ありさ・桜井幸子・一色紗英ほか ミドルエッジ、2016年4月3日
  27. ^ “紅白にアキバ枠しょこたんら出場 - 芸能ニュース nikkansports.com”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2007年11月25日). http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071125-287476.html 2013年5月13日閲覧。 
  28. ^ “紅白曲順が決定 注目の“アキバ枠”は米米CLUBと激突! ニュース-ORICON STYLE-”. オリコンニュース (オリコン). (2007年12月27日). http://contents.oricon.co.jp/news/movie/50813/full/ 2013年5月13日閲覧。 
  29. ^ a b “ポストAKBはどうなる? アイドル戦国時代の行方 今を読む:文化 Biz活 ジョブサーチ YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2012年10月9日). オリジナルの2013年5月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130515011833/http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnculture/20121009-OYT8T00206.htm 2018年9月27日閲覧。 [リンク切れ]
  30. ^ a b “【12年ヒット分析】新旧グループから地方アイドルまで~“アイドル戦国時代”さらに激化 (AKB48) ニュース-ORICON STYLE-”. オリコン (オリコン). (2012年12月9日). http://www.oricon.co.jp/news/music/2019492/full/ 2013年4月23日閲覧。 
  31. ^ Gザテレビジョン編集部ブログ Gザテレビジョンは来週月曜日、24日発売です!”. ザテレビジョン (2010年5月19日). 2013年3月12日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年4月23日閲覧。
  32. ^ ももクロ、国立で宣言「笑顔を届けることにゴールはない」”. ナタリー. 2014年3月17日閲覧。
  33. ^ アイドル223組1480人が参加 『TIF』史上最多8万1378人動員”. オリコン. 2018年1月6日閲覧。
  34. ^ テレビ東京番組製作スタッフ、元角川映画プロデューサー、現在は一般社団法人ストリートダンス協会広報委員長も兼任鈴木敦子 (2015年10月26日). “人模様:地方アイドルで地域活性化 金子正男さん”. 毎日新聞のニュース・情報サイト. 毎日新聞社. 2016年4月26日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年4月26日閲覧。
  35. ^ 一般社団法人ストリートダンス協会団体概要 2016年5月1日閲覧
  36. ^ 日本ご当地アイドル活性協会、2021年上半期未発掘アイドルセレクト10を発表」Pop'n'Roll(ポップンロール)2021年7月3日
  37. ^ 80年代のBON JOVIヒストリーをご紹介 BON JOVI FRIENDSHIP - ボンジョヴィファンサイト
  38. ^ [1]

関連項目[編集]

アイドルの種類
その他