声優
声優は当初、ラジオドラマを専門に行う東京放送劇団やその他の放送局の劇団員・ラジオ俳優を指し[2]、テレビ時代になって吹き替えとアニメを行う役者を指す用語として定着して行った。
『読売新聞』で1926年(昭和元年)から使用されていることが知られ[3]、呼称の由来は以下の2説があり、未だに明確になっていない。
概要[ソースを編集]
声のみで演技する実演家であり、日本の声優の多くは日本俳優連合に加盟しているが、俳優とは異なり声に特化した役者と見なされている[5]。またニュースで原稿を読み上げるキャスターやアナウンサーなど放送・報道分野の業務に携わる者とも区別される。
アニメーション作品ではしばしばキャラクターボイス(character voice)、略してCVという和製英語が使われる。これは1980年代後半にアニメ雑誌『アニメック』で副編集長だった井上伸一郎が提唱した用語で、その後、井上が角川書店で創刊した『月刊ニュータイプ』でも用いられている[6]。また、昭和時代の作品では、おもにエンディングのクレジットでは「声の出演」と表記されることが多かったが、平成から令和にかけての現在では「キャスト」ないし「CAST」「CV」(キャラクターボイス)と表記されることが多い。
後述のフィックス制度により性格俳優としての側面もある。
日本では歴史的な経緯から声優を専業とする例が多い。海外では、俳優の仕事の一部という側面が大きいが、アメリカでも声優専業の役者が増え、演技学校で声優コースを設けているところもある[7]。
2000年代からは歌手としての活動、写真集を出すなどタレント的な活動も増えている。
歴史[ソースを編集]
日本で声優の専業化が進んだ理由は、
- ラジオドラマ全盛期に、NHKと民放が自前の放送劇団(NHK東京放送劇団など)を組織して専門職・ラジオ俳優を育成したこと
- テレビの黎明期は、番組コンテンツ不足のため、アメリカ合衆国からテレビドラマやアニメーション(日本での「アニメ」とは異なる)が大量に輸入され、声優による日本語吹き替えの需要が増大したこと
- アニメやゲームの人気の高まりにより、最初から声優専門の演技者を志望する者が増えたこと
などが考えられる。
音声メディアの可能性は、「文学立体化運動」の提唱から雲の会(1950年〈昭和25年〉結成)を主宰した岸田國士[8]、日本での近代批評文学の先駆者となった小林秀雄[9]、日本における正統劇(せりふ劇)[10]の確立を提唱した福田恆存[11]などの文学者によって指摘されている。
岸田は「『語られる言葉』の美」(1928年〈昭和3年〉)の中で、黎明期のラジオドラマや映画物語[12] に言及し、語り手による聴き手の想像力の喚起こそが、発展性の要であると論考している[13]。小林は『年齢』(1950年〈昭和25年〉)や『喋ることと書くこと』(1954年〈昭和29年〉において、において、「話し言葉」を重視する言語観を表明し[14]、『本居宣長』(1977年〈昭和52年〉)では「姿は似せ難く、意は似せ易し」と言葉が作り上げる姿の有り様を示している[15]。
福田は「言葉は行動する」との言語観から『ハムレット』(1955年〈昭和30年〉上演)を始めとしたシェイクスピア戯曲の翻訳と演出を行い、1963年(昭和38年)には現代演劇協会[注 1] を主宰した[16]。その活動は演劇にとどまらず、ラジオドラマの制作と戯曲化による舞台上演、アテレコ論争の先取、アニメ映画『千夜一夜物語』(1969年〈昭和44年〉公開)への劇団雲の参加など[17]、連続的に声の出演にも及んでいる[18]。
民間放送開始の1951年(昭和26年)には、雲の会の刊行雑誌『演劇』の企画で、小林と福田の対談が行われ、示唆に富むやり取りが交わされている。
小林 純粋な観念としては音楽だから。……一般に人間の耳っていうのは、よくないと思うんですよ。みんな悪いんです、耳っていうものは。
福田 ほかの感覚に比べて?
小林 ええ。眼に比べてね。 特に耳を訓練している少数の人々をのぞけば。だからまだラジオ・ドラマをちゃんと聴ける耳を持っている人はいないと思うんですよ。人の声っていうものは、非常に表情に富んだものでしょう。見ないで、声で人間がわかる、そこまで耳の訓練が出来ている人はいないんだよ。ラジオ・ドラマが非常に発達すると、そういう訓練ができるかも知れない。そうすると、見なくても、声のほうがよっぽど表情的でね、ラジオ・ドラマ専門の名優というものが出てくる。……ぼくら、眼を開けて暮しているから、耳はおろそかになっている。芝居っていうやつは、眼と耳と両方で鑑賞しているしね。まあ、はなし家や講釈師になるとどうかな。例えば落語だって、話術の生命はやっぱり物語を追ってるんだけども、同じ物語を何度聴いてもいいでしょ? 何度聴いてもいいというのは、つまり音なんだよ。そいつの声の音楽なんだよ。そいつを聴いて楽しんでるわけだな。 — 『芝居問答』 音・耳・放送劇[19]
声の出演契約を巡っては、日本俳優連合により「外画協定」(1978年〈昭和53年〉)、「動画協定」(1981年〈昭和56年〉)が締結され、権利面、経済面での定着を見ている[20][21][22][23]。
時を同じくして『宇宙戦艦ヤマト』(1977年〈昭和52年〉)に始まるアニメブームは、新たな人材の採用志向を強め、『超時空要塞マクロス』(1982年〈昭和57年〉)に代表される作品を出現させている。一連の声優ブームは、声優に特化した芸能事務所や声優養成所の伸長に繋がり、現在に至る声優像の多様化の原点となっている[24][25]。
この時期に声優論を展開した人物には、アニメ演出家の富野由悠季が認められる。
富野は手塚治虫原作の漫画『鉄腕アトム』のアニメ化に始まるテレビアニメの黎明期より活躍し[26]、1981年(昭和56年)には「アニメ新世紀宣言」を提唱した[27]。それに先立ち、日本俳優連合の外画動画部会で交渉委員を務め、アテレコ論争への反論を行う永井一郎との対談を企画している[28][29][30]。
また、代表作と目される『機動戦士ガンダム』(1979年〈昭和54年〉)の制作中には、アニメ制作のスタッフの立場から、声優志望者に向けて声優観が表明されている。
アニメ流行の当節ならば〝声優〟というのは独立した職業のようにきこえもする。しかし、本来、声優という職能は、演技者(俳優)の持つ才能の一部でしかない。演技者であってこそ声優という部分の才能も発揮される。現に、声優だけを職業として、その人気だけで自分の実力を楽しんでいる声優は少ない。声だけで演技をするという事は、単なる発声の訓練ですむものではない。つまり、演技者(俳優)としての能力があって、初めてなし得るという事を忘れないで欲しいのだ。
なぜ?なぜだろう?……そう。声一つとっても、肉体があるから、人格があるから、多種多様の声があるのだ。人格(人としての)のあらわれが声である。声だけで人間は存在しないということなのだ。これを、当たり前と感じた瞬間から、あなたは声優入門の第一歩を見失なうだろう。(中略)
そして、最後に具体的に指針を示そう。本当に声優になりたいあなたなら、まず〝演技〟という単語を辞書で調べることぐらいやってごらんなさい。次にこの稿の中の知らない単語も調べなさい。そして、本当の最後です。〝さ、し、す、せ、そ〟と叫んでごらんなさい。あなたの声に、表情がありますか? なければ、表情をつけてごらんなさい。あなたの俳優修行の始まりです。 — 富野善幸『声優へのスタート』[31]
2005年(平成17年)、新国立劇場が演劇研修所を開所している。2007年(平成19年)、日本声優事業社協議会が設立されている。
レコード時代[ソースを編集]
1877年(明治10年)7月、アメリカでトーマス・エジソンが録音再生式の蓄音機を発明する。
日本では明治維新後、内閣制度が創設される頃になると、文明開化の影響が言文一致運動に象徴されるソフト面に見られ始める。1885年(明治18年)9月、坪内逍遥が『小説神髄』を著し、日本の近現代文学史の本格的な始まりを告げた。1886年(明治19年)8月には、歌舞伎の近代化を志向した演劇改良会が結成された。逍遥はシェイクスピア戯曲の翻訳や歌舞伎演目『桐一葉』の創作、森鴎外との没理想論争など明治期の文芸演劇界で幅広く活躍した[32]。これらの影響もあり高まった芸術熱を受けて、島村抱月が留学から帰国した翌年、1906年(明治39年)2月には、文芸協会を設立している[32]。また、1909年(明治42年)11月には、小山内薫と市川左團次が自由劇場を発足させている。
明治の末になるとハード面での近代化が進み、1910年(明治43年)10月、日本で最初のレコード会社が設立される。1911年(明治44年)3月には、帝国劇場が開場する。同年5月、文芸協会によりシェイクスピア戯曲『ハムレット』[注 2]、11月にイプセン戯曲『人形の家』が上演される[33]。好評を博した新劇女優の松井須磨子は、文芸協会付属演劇研究所の1期生であり[34]、女優養成は画期的な成果であった。また、2期生からは新国劇の創設者となる澤田正二郎が輩出されている。
1913年(大正2年)7月、抱月と須磨子は芸術座を結成し[35]、1914年(大正3年)3月の第3回公演では、抱月の再脚色においてトルストイの小説『復活』を上演した [36]。須磨子が歌唱した劇中歌『カチューシャの唄』はレコード販売もされ、近代日本初の流行歌となった[37]。同盤には歌唱だけでなく第三幕の科白の一節も収録された。同年10月、シェイクスピア戯曲『アントニーとクレオパトラ』が抱月の改作により上演され[38][39]、公演後には出演者が録音スタジオに集まり舞台の粋を収録している。これは科白のみのオーディオドラマであり、12月には「沙翁劇『クレオパトラ』」として発売された[40]。
大正時代には曾我廼家一座、宝塚少女歌劇、浅草オペラなども音源を残している[41]。
ラジオドラマ時代[ソースを編集]
1925年(大正14年)3月、NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始する[42]。
そのわずか1か月後に『映画劇せりふ』の番組内でサイレント映画『大地は微笑む』のセリフ劇が放送された。このときの声の出演は新派劇俳優の井上正夫、女優の栗島すみ子などであった。専門職としてではないが、実質的に彼らが「日本で最初の声優」である[43][注 3]。同年7月には舞台中継をスタジオで再現した『桐一葉』(出演:中村歌右衛門(5代目)など)、さらに日本初の本格的なラジオドラマとして『大尉の娘』(出演:井上正夫、水谷八重子)が放送される。8月に小山内薫の演出、和田精の音響効果で放送された『炭鉱の中』とする説もある[44]。出演者の一人であった山本安英は後に東京放送劇団の指導者を務めている。
同年8月、東京放送局にラジオドラマ研究会が設立される。長田幹彦、小山内薫、久保田万太郎、久米正雄、長田秀雄、吉井勇の6人を主要メンバーとした[45]。更に聴取者の獲得の為に著名な文士に一編五百円で脚本を委嘱する。当時の五百円は一軒家が建つほどの金額であり[46]、2年間で「五百円ドラマ」に脚本を寄せた文士の顔ぶれは里見弴、松居松翁、小山内薫、長田秀雄、吉井勇、久保田万太郎、岸田國士、菊池寛、山本有三、中村吉蔵、岡本綺堂の11人であった[47]。
同年9月、東京放送局は声だけで演技を行う専門の俳優としてラジオドラマ研究生を公募[48]。100名あまりの応募者のうち12名の女性が選ばれ、11月にラジオドラマ『太っちょう』に声をあてる。声優の歴史に関する多くの資料では彼女たちが「日本の声優第1号」とみなされている。この当時は新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた[注 4]。初期のラジオドラマには汐見洋や東山千栄子などこの前年に開場した築地小劇場の俳優が多く出演していた[49]。
1926年(大正15年)8月、東京・大阪・名古屋放送局の3法人が解散し、後継組織として日本放送協会が発足する。
1928年(昭和3年)からは新人育成を目的とした懸賞募集が開催されて行き、真船豊、森本薫、三好十郎、八木隆一郎、北条秀司、伊馬春部などが執筆した[50]。
1931年(昭和6年)8月から1938年(昭和13年)8月まで日本放送協会の文芸課長に久保田万太郎が就任する。久保田は文芸路線を掲げて、夏目漱石や泉鏡花、ルナールやユーゴーなどの国内外の文学のラジオドラマ化を推進した。また、久保田の演劇界での人脈を活用して井上正夫、喜多村緑郎、村瀬幸子、田村秋子、友田恭助などの新派や新劇で第一線の俳優を起用している[51]。文芸課職員であった小林徳二郎は後に「これは新劇の俳優が商業劇場に出演できなかった当時では、ラジオ放送だけにしか行い得ないことで、久保田の手腕によるものであった。いまでいえば久保田課長は芸術面ばかりでなく、政治力を兼ねた名プロデューサーであった」とその意義を述べている[52]。この頃(おもに1930年代)活躍していた者として舞台女優の飯島綾子が挙げられる[注 5]。彼女はラジオドラマのほかに日本舞踊家や歌手(流行歌・歌謡曲・童謡オペレッタ)としても多彩な活動をしていた。1925年(大正15年)~1938年(昭和13年)にかけてラジオドラマの総放送回数は750回を数えるまでに成長した。
1941年(昭和16年)、NHKはラジオドラマ専門の俳優を養成する東京中央放送局専属劇団俳優養成所の研究生を公募。1943年(昭和18年)に養成を終えた東京放送劇団の第1期生がデビューを果たした[54]。これが声優第2号とみなされ[55][注 6]、「声優」という言葉はこのころから使われたとする資料もある[57]。
1951年(昭和26年)に民間ラジオ局のラジオ東京(現・TBSラジオ)が開局、専属の放送劇団(ラジオ東京放送劇団、のちのTBS放送劇団)を設立して1957年(昭和32年)に放送した連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた名古屋章には月に何十通ものファンレターが届いたという[58]。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。1953年(昭和28年)のNHK東京放送劇団の第5期生募集には合格者が10名程度のところへ6,000名の応募が殺到したという。この時代を声優の勝田久は第1期声優黄金時代としている[59]。
アニメでは、1933年(昭和8年)には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川ロッパをはじめとする映画俳優達だった。1942年(昭和17年)には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声、山野一郎などが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優、コメディアン、放送劇団員が使われた。また、洋画の吹き替えはテレビ時代になってから本格的に行われるようになった[注 7]。
第1次声優ブーム[ソースを編集]
民放テレビの草創期には、1961年(昭和36年)の五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマや洋画などのいわゆる外画の日本語吹き替え版が数多く放送された[61][62][63]。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで日本国外の作品を放送していたため、日本語吹き替え版は民放が中心となっていた。以後、日本国外の作品は1960年代前半をピークとして放送された。これらを背景として声優人気が高まっていったという。ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智で[64]、追っかけまでいたという[65]。
テレビや映画の俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは、ラジオ時代からの放送劇団出身者や新劇の舞台役者が多く行った[66]。放送劇団出身の若山弦蔵は当時の吹き替えに参入してきた新劇俳優について、「大部分の連中にとっては片手間の仕事でしかなかった」「日本語として不自然な台詞でも疑問も持たず、台本どおりにしか喋らない連中が多くて、僕はそれがすごく腹立たしかった」と語っている[67]。また、この時期には役者論、演技論としてのアテレコ論争が展開されている。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。
労働環境や待遇は恵まれていなかったことから権利向上のために結束しようという動きがあり、久松保夫は清水昭の太平洋テレビジョンに参加するが同社で労働争議が発生。これを受けて東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生したが、前述の若山弦蔵のように所属せず独立した者もいた[68]。のちに俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず[69]、別称として、吹き替えを主にしたことから吹き替えタレント、声をあてることからアテ師[70][71] というものがあった。
テレビの日本語吹き替え作品第1号はTBSの前身であるKRTテレビが1955年(昭和30年)10月9日より放送開始したアメリカのアニメ『スーパーマン』であると言われる。実写では1956年(昭和31年)にTBSの前身であるKRTテレビで放送された『カウボーイGメン』と記録されている。これらKRTテレビでの放送はいずれも生放送による吹き替えで、あらかじめ録音したアフレコによる作品第1号は、アニメでは1956年(昭和31年)4月8日に日本テレビが、番町スタジオの安井治兵衛に依頼して放送した海外アニメ『テレビ坊やの冒険』である。
1966年(昭和41年)に『土曜洋画劇場』(現・『日曜洋画劇場』)の放送が始まり、この番組によってスターの声を特定の声優に固定する持ち役制(フィックス制度)が始まった[72]。
第2次声優ブーム[ソースを編集]
最初に認知されたアニメ声優として、当時子役ながら海のトリトンで主役を演じた塩屋翼が知られており[73]、以降に第2次声優ブームが1970年代後半の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによるアニメブームと並行して起こった。
そのブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明、古谷徹、古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド「スラップスティック」を結成してライブ活動を行ったほか[74]、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子、戸田恵子、神谷明、水島裕、スラップスティックの名が挙げられている[75]。
また『宇宙戦艦ヤマト』で森雪を担当した麻上洋子(現講談師・一龍斎春水)はアニメが好きで声優になりたくて声優になったことが知られ [2]、声優養成所が排出した初の声優とされる[73] だけでなく、アイドル声優の始祖といえる存在で、その系譜が小山茉美、潘恵子へと続く。自身のアルバムを4枚出した潘恵子は元祖アイドルと呼ばれた[76]。
1979年(昭和54年)に放送開始した『アニメトピア』など、アニメ声優がパーソナリティを務めるラジオ番組なども誕生。ラジオドラマでは声優人気を背景にした『夜のドラマハウス』があり、アマチュア声優コンテストも開催されていた[77]。
この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代でもあり、『アニメージュ』の創刊編集長である尾形英夫は、声優のアイドル化を編集方針のひとつとして打ち出した[78]。『アニメージュ』以外のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて、定期的に声優の情報を発信した。
人材の供給・育成面では、声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始め、同時に各プロダクションにより声優養成所が設けられた。これらにより、放送劇団出身者や舞台役者などの俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく、最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた。このブームはおおむね1980年代前半ごろまでとされている。
1990年前後[ソースを編集]
1980年代後半から「声優のアイドル化」あるいはアニメ・イベント(ショー)への出演による「顔出し」が一般的になった[73]。例えば1980年代末のテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』に出演した5人の男性声優で1989年に結成したユニット「NG5」が人気を集め、ニュース番組で取り上げられるほどであった。声優がマルチ活動をするようになった先駆け的グループであるとも言われている[79]。1993年(平成5年)からのOVAシリーズ『アイドル防衛隊ハミングバード』以後に急速に見られるようになった、アニメ作中のキャラクターと実在の声優を様々な形で相互に連想させるようなメディア的な演出によって、表舞台に立つ存在になった。こうして、アイドル的なイメージ構築によるアイドルファンのアニメファンへの取り込みがなされるようになる。
そして、林原めぐみなどの女性声優がレコード会社と契約を行って歌手活動をする例が増えてくる[80]。
さらに、1990年代になって、吹き替え作品が、地上波放送のほかにも、DVDなどのパッケージやCS放送などさまざまな形態で発信されるようになると、同じ作品でも複数の吹き替えが作られる例が増加した。このため、従来の持ち役制度はほぼなくなったとする指摘もある[81]が、森川智之のトム・クルーズのように同一の声優が同じ役者を吹き替え続ける慣習は残っている[82]。
第3次声優ブーム[ソースを編集]
用語として、おおむね1990年代半ばから後半にかけて、頻繁に用いられていたが、明確な定義は存在していない。第1次、第2次という使い方も、この用語から逆算的に使用されたもので、こちらも明確な定義は存在していない。この時期の特徴として、「声優のマルチ活動化や歌手活動への進出によるアイドル化」「声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲームの登場による仕事の増加」「声優がパーソナリティを務めるラジオ番組の普及」などが挙げられる。このことから、声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿のよさや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになったとされる。
1994年(平成6年)に初めての声優専門誌となる『声優グランプリ』と『ボイスアニメージュ』が相次いで創刊された[83]。1995年(平成7年)に初の声優専門のテレビ番組『声♥遊倶楽部』が放送された。
清水香里や坂本真綾など、当時中学生でテレビアニメの主人公に抜擢される例もあり、アイドル的な注目を受けた[84][85]。
1997年(平成9年)には椎名へきるが声優として初めて日本武道館で単独コンサートを開催した。椎名は声優が必ずしもアニメや外国映画吹き替えなどの、映像中のキャラクターの影という声の代行者という役割ではなく、声優そのものがスター性を持った存在となり得ることを最初に示した先駆者とみられている[73]。
またアニメ作品で声を担当した声優が舞台公演等でその担当したキャラクターを演じる例の先駆として、サクラ大戦シリーズ#歌謡ショウが始まる。これは1997年(平成9年)から2007年(平成19年)まで続くが、サクラ大戦帝国歌劇団花組のキャラクターの声を演じている声優が、実際に舞台上でそのキャラクターを演じるミュージカル仕立ての公演で、それまでアニメ原作の舞台では俳優が演じていたが、アニメとの声の違いを指摘した子供がいたことで、サクラ大戦シリーズの総合プロデューサーである広井王子は、キャラクターの担当声優を決める際に、舞台公演も視野に入れてキャスティングしていた。
2000年ごろから[ソースを編集]
1990年代より活動していた水樹奈々、田村ゆかりや、舞台俳優から転向した宮野真守などの「声優アーティスト」としての成功や、2005年(平成17年)から開催されているAnimelo Summer Liveなどのアニメソング系の合同フェス的なライブ[注 8] の普及などにより、声優と歌手活動を両立させる声優がこの時期以降ますます増加するようになった。特に水樹は、ドームツアーやNHK紅白歌合戦への出場など、声優として初の音楽活動を行っていることが多い。
2010年代半ば以後はこの傾向が年々顕著になり、歌手としての日本武道館での単独公演を実現させる声優が、ほぼ毎年のように現れるようになっている(一例として、内田彩[86]、東山奈央[87]、内田真礼[88] など。特に東山は、自身初めての単独公演が日本武道館での開催であった)。
2000年代後半ごろから、一部のマスコミで「第4次声優ブーム」という表現が用いられるようになった(ただし、明確な定義はない)[89][90]。このころから、子どもの「なりたい職業ランキング」の上位に「声優」がランクインするようになった[89]。
2000年代後半以降、深夜アニメの本数が急速に増加[注 9]。これにより、いわゆる「アニメバブル」という状況が生まれた。新人声優デビューは増加の一途をたどり、水瀬いのり[91]、林鼓子[92]、楠木ともり[93][94] など当時10代でテレビアニメの主演を務める例も、以前よりみられるようになった[注 10]。
さらに、『ラブライブ!』や『アイドルマスター』『けいおん!』『BanG Dream!』『あんさんぶるスターズ!』など、ゲームやアニメ番組から派生した企画による声優ユニットが男女を問わず人気を博すことも多くなっていく。
特に『ラブライブ!』のμ'sは、東京ドーム公演やNHK紅白歌合戦への出場するなど人気を獲得した。このため、現在の声優は演技だけではなくアイドルのように、ルックス、歌唱力、ダンススキルが求められる例もある。逆に田野アサミ(元BOYSTYLE)や仲谷明香(元AKB48)、前島亜美(元SUPER☆GiRLS)など、アイドルから声優に転身する例も増えているとされている[95]。
2010年代から小宮有紗、美山加恋、福原遥のように声優・俳優・歌手を兼業する者もいる[96][97]。2010年代後半にはバーチャルなキャラクターを製作し、それに声優が声をあててYouTubeなど動画配信を利用して配信するVTuberが出現するが、このキャラクターを「声優」として、YTuberがほかのアニメ・ゲーム作品等に声をあてるという現象が開始されている。#VTuberの進出も参照。
仕事[ソースを編集]
アニメ、オリジナルビデオアニメ(OVA)、ラジオドラマ、ドラマCD、ゲーム、テレビ、映画、洋画や海外ドラマの日本語吹き替え、ボイスドラマ、ナレーション、アナウンス、番組内の語り手、朗読などがある。
声による演技以外にも、出演作の関連イベントや宣伝など付随して顔出し出演があるが、事前契約はせずその都度の協議で決定することが多いなど、俳優とは出演料のシステムが異なる[98]。
仕事の取り方はオーディションによる選考か指名、出資によるキャスティング権の確保であるが、仕事の種類ごとに異なる。
アニメ[ソースを編集]
画面を見ながら台詞を吹き込むアフレコと、事前に台詞を収録し、それに合わせて後から動画を制作するプレスコの2種類の方法がある。日本ではアフレコが主流である。近年のアニメ制作のデジタル化により、アフレコ後に絵を修正する例も多い。なお、声をあてることからアテレコとも言う。収録はスタジオに声優を集めて一度に行うのが主流だが、芸人や歌手などの非声優を起用する場合は、個別に別録りすることが多い。
出演料はランク制の適用を受ける。
役は原作者や制作サイドからイメージに適合した声(声質)や演技力を持つ人物が指名されることもあるが、選考オーディションを受けて得るというシステムが主流である[99]。
通常は制作会社などから声優の事務所庶務にオーディションのお知らせが通達され、事務所は役柄に合うと判断した所属声優を数人選び、その選ばれた者だけがオーディションを受けられるというのが通例である。そのため大人数の声優を抱える大手事務所では、まず事務所内での競争を勝ち抜かないとオーディションを受ける機会すらない[100]。そして、たとえオーディションを受けられたとしても、60本に1本受かればいいというほどの競争率と言われる[101]。
古川登志夫は『ポプテピピック』に出演した際、「大御所なんだから仕事選べ」という一部視聴者の声が出たことに対して「冗談ではない。アニメのキャラ声は本職だ。第一仕事を選べるほど偉い立場にない」「一本の仕事を取るのにマネージャーさんが何度頭を下げるかご存知か!」と反論している[102][103]。
公募形式とする例もあり、2005年(平成17年)のSPEED GRAPHERではヒロイン役を公募オーディションとしたが、第1次・第2次審査で絞り込んでからウェブの一般投票も加味される形式で行われた(新人の真堂圭が選ばれた)。2013年(平成25年)、テレビアニメ『ふたりはミルキィホームズ』の主人公役を公募オーディションが行われた(新人の伊藤彩沙が選ばれた)。2018年(平成30年)放送のからくりサーカスでは主役の1人をプロアマ不問の公募オーディションにより決定すると発表したが、応募総数は2,500人超だったという[104](新人の植田千尋が選ばれた)。2021年(令和3年)のワッチャプリマジ!では公募オーディションの審査を各段階で公開している[105]。
#一般公募も参照。
昨今はアニメに対する出資会社によって出演枠を確保する方法がとられることもあり、オーディションによる出演ではない者も混在している。
大型ビジョンに映される映像からAbemaやYouTubeなどで目にする配信動画広告を含めたCM等や、パチンコやスロットにおけるリーチアクション等の映像まで、アニメ映像が使われていることは非常に多く、こうした映像媒体に登場するキャラクターの声を担当するのも、声優の仕事である。
ゲーム[ソースを編集]
基本的に、かけ合いではなく一人ずつ個別に収録する。
CD-ROMの普及し始めた1980年代末から増えた仕事である[106]。1990年代に、PlayStationなどの高性能なゲーム機が登場し、声優が起用されることが一般的になった。『ときめきメモリアル』(1994年〈平成6年〉~)から人気に火のついた男性向け恋愛ゲームは美少女ばかりが登場するゲームから「ギャルゲー」とも呼ばれ始め、いちジャンルと化して大量に作られた時期も現れた。
出演料については、当初は明確な基準がなかったが、1998年(平成10年)に日本俳優連合(日俳連)と社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)の間で協議が持たれてからは、一般向けのゲームでは、アニメと同様にランク制が適用されるようになった。
アニメと同じく、オーディションや指名によって選出される。
アダルト作品への出演[ソースを編集]
アダルトゲーム(エロゲー)・アダルトアニメなどの年齢制限のある作品に声をあてる。この場合、声優名を非公表とするか、別の芸名を使うことがほとんどである[107][注 11]。石田彰や一条和矢、大野まりな(現・まりなりな)、こおろぎさとみなど、一般作と同じ名義で出演する声優もいる。ダイナマイト亜美や静木亜美、長崎みなみなど、アダルト作品を専門としている声優もおり、ゲームのアニメ化に合わせて一般作での活動を行なう例も多い。
ComicFestaアニメでは成人向けの描写をカットした一般向けと、すべての描写を入れた完全版の2種類を用意しており、それぞれ声優も異なっている。
着ぐるみのアテレコ[ソースを編集]
特撮番組では、顔出し出演のほかにスーツアクターが演じる怪人などの声を担当するという仕事もある。アクマイザー3や宇宙戦隊キュウレンジャー、機界戦隊ゼンカイジャーなど、着ぐるみが中心のヒーロー物など、また昨今のウルトラマンシリーズではウルトラマンが言葉を発するため、特に声を当てる声優が必要となる。
ヒーロー物番組ではさらに、変身等での音声(かけ声など)を担当することも多い。
通常は、動きはスーツアクターが担当してそれに合わせて声を当てる作業であるが、中には声とアクターを兼任する場合もあり、チョー(俳優)が担当する 『いないいないばあっ!』でのワンワンは、スーツアクターも兼任し直接声をあてていることが知られている。鈴田美夜子も公の場で顔出ししない手段として、着ぐるみを着ている。ほかに『ウルトラマン』でザラブ星人の声をあてることになった青野武はそれに飽き足らず、雰囲気をつかむため実際に着ぐるみの中に入ってザラブ星人を演じている、『ウルトラセブン誕生35周年“EVOLUTION”5部作』(2002年〈平成14年〉)に出演の関智一はガルド星人として声だけでなく、星人の普段の姿も演じているなどのケースがある。
人形劇・着ぐるみショー[ソースを編集]
人形劇はキャラクターの演技とタイミングを合わせながらセリフを言うか、事前に収録した映像を見ながらアフレコする。NHKの人形劇はプレスコ形式が多い。また1人で複数役を兼任するスタイルが多く、連続人形活劇 新・三銃士では30人近い役を7名で演じており、人形劇 三国志ではメインキャラクターを演じる役者は5名以上の役を兼任している。
着ぐるみショーでは生で声を合わせることもあるが、基本的には事前に声を収録してそれに合わせて着ぐるみの演者(スーツアクター)が演技を行う。
劇団飛行船の公演は「マスクプレイ」という、着ぐるみをきたアクターが声優によって吹き込まれた声に合わせて演じる手法をとっている。
日本語吹き替え[ソースを編集]
海外ドラマ・外国映画などの登場人物の声を俳優に代わって演じる。アニメ同様、ランク制の対象となる。
フィックス制度により役が固定されていることもあるが、放送版とセル版では異なる声優となる例もある。
ニュースやドキュメンタリーなどのボイスオーバーもランク制の対象である。
アニメとは異なりオーディションはほとんど行われず、プロデューサーやディレクターなどが声優を指名して決めることがほとんどとされる[99][108]。ただし、ディズニー作品、スティーヴン・スピルバーグ作品、ジョージ・ルーカス作品などでは指名ではなく、アニメ同様オーディションが行われるという[109]。
ボイスドラマ[ソースを編集]
ラジオドラマ・ドラマCDなど音声のみのドラマ作品でキャラクターの声を演じる。
ドラマCDの場合、売上を考慮して、すでに知名度のある声優を起用することが多い[110]。逆に新人やアマチュアをオーディションによって選ぶ例もある。
メディアミックス[ソースを編集]
アニメ・ゲーム・ドラマCD・玩具などメディアミックスが行われる作品では、同一の声優が同じ役に固定されるが、諸事情により変わることもある。
音声作品[ソースを編集]
語り手、朗読とは別に、声や語りかける等の音声作品をレコードやカセットテープ、コンパクトディスクなど音声記録媒体に記録してボイス集などとして販売するもので、2010年代からはさらに音響技術によりASMR作品・バイノーラル録音での音声作品が登場し、主にインターネットを通してダウンロード販売などがなされている。こうした音声作品のダウンロード販売に2020年代から名の知られる声優も続々と参入している。
ナレーション・アナウンス[ソースを編集]
テレビ番組・テレビやラジオのCM・PRビデオ、解説ビデオなどの朗読、イベントのアナウンスやリングアナウンサー、番号案内の録音されたメッセージ、デパートやスーパーマーケットなどでの店舗の録音案内、駅や路線バスなどの公共交通機関のアナウンス(自動放送)など。
ランク制の対象外の仕事[注 12] で、ギャラはアニメ・日本語吹き替え・ゲームよりもはるかに高額とされ、特にテレビCMが高額とされている[111]。ただし基本的に単発かつ不定期の仕事であり、安定した収入にはなりにくい。また本業のナレーターやアナウンサーとも競合する。
日本語吹き替え同様、オーディションはほとんど行われず、指名で決まることがほとんどとされる[112][113]。
舞台劇[ソースを編集]
前述のように、舞台俳優が声優を兼ねる例は創成期から多い。劇団に所属しながら並行して活動するほか、関智一などのように劇団を主宰する者もいる。
通常の舞台劇とは別に、台本を持って音読するスタイルで上演される朗読劇(リーディング)もあり、メディアミックスとしての上演もある[114]。
俳優・タレント活動[ソースを編集]
映画やテレビドラマで俳優活動を行う者もおり、近年ではバラエティ番組などへの出演もある。
戸田恵子が1998年のショムニ(テレビドラマ) からテレビドラマやテレビCMに出演し始めていくが、2010年以降にはドラマ『満福少女ドラゴネット』(2010年)の久保ユリカ、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2015年)NHK連続テレビ小説『あまちゃん』(2013年)の水瀬いのり、NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)の高木渉、NHK連続テレビ小説「エール」(2020年)の津田健次郎、「麒麟がくる」(2020年)の大塚明夫、『半沢直樹』(2020年)の宮野真守、『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』(2021年)の花江夏樹、『青天を衝け』(2021年)の置鮎龍太郎、『リコカツ』(2021年)の三石琴乃の例がみられる。
2010年代後半から『声ガール!』(2018年)や『劇団スフィア』(2019年)、『声優探偵』(2021年)といった声優をテーマにして声優が俳優として出演する実写ドラマが制作されている。
映画出演についても『バトル・ロワイアル』(2000年)の宮村優子、『包帯クラブ』(2007年)の小野賢章、『モノクロームの少女』(2009年)の入野自由、『君がいなくちゃだめなんだ』(2015年)の花澤香菜、『小野寺の弟・小野寺の姉』(2014年)『-X-マイナス・カケル・マイナス』(2011年)の寿美菜子、『縁-enishi-』(2011年)の谷山紀章、『寄性獣医・鈴音 EVOLUTION』(2011年)『猫カフェ』(2018年)の久保ユリカ、『図書館戦争』(2013年)の鈴木達央らの例がある。
このほか映画『第2写真部』(2009年)、実写『ヤッターマン』(2009年)、『腐女子彼女。』(2009年)、『私の優しくない先輩』(2010年)、『Wonderful World』(2010年)、『ライトノベルの楽しい書き方』(2010年)、『神☆ヴォイス ~THE VOICE MAKES A MIRACLE~』(2011年)、『死ガ二人ヲワカツマデ… 第一章 色ノナイ青』『死ガ二人ヲワカツマデ… 第二章 南瓜花-nananka-』(2012年)、特撮ドラマ『非公認戦隊アキバレンジャー』『非公認戦隊アキバレンジャー シーズン痛』(2012年~2013年)、『獣電戦隊キョウリュウジャー』(2013年~2014年)最終話やエンディングのダンス、『Green Flash』(2015年)など、声優が複数人が顔出しで出演している作品も多い。
水樹奈々、内田真礼、竹達彩奈などのように、CMで顔出し出演をする声優も増えている。CMは広告代理店担当者査定などに該当しランク制対象外である[115] 。
2010年代後半には、梶裕貴のようにニュース番組のコメンテーターとして出演する声優もいる。
この他にお笑い活動もあり、山寺宏一のようにものまね番組に出演してものまねを披露したり、2019年7月に「ラッシュスタイル」というコンビを組んでいた速水奨と野津山幸宏がM-1グランプリ2019にエントリーしている[116]。
2010年代後半からは「ラフラフ!」「Warahibi!」といった声優×二次元芸人プロジェクトが進行している。その中でも「GET UP! GET LIVE!」は声優が芸人の役を演じるだけでなく、実際にイベントで漫才やコントのリーディングライブに挑戦。芸人役を演じている花江夏樹、西山宏太朗、阿座上洋平、熊谷健太郎らがイベントで実際に漫才やコントを披露している。
#声優による他分野での芸能活動も参照。
歌手活動[ソースを編集]
音楽CDを発売したり、コンサートを開催したりするなど、歌手として活動をおこなう。逆に、アイドル歌手が声優に転身することもある。
アニメ・ゲームにおいては、出演声優が、個人またはユニットとして、その作品の主題歌を歌うことがある。また、キャラクターが歌っているという設定にして、声優本人の名義ではなく、キャラクター名義でキャラクターソングをリリースすることがある。
林原めぐみが声優として初めてキングレコードスターチャイルドレーベルと専属契約を結んだ1991年(平成3年)3月以後、声優がレコード会社との専属契約を結び、本格的に歌手活動をする例が一般化している。
数名の声優が音楽ユニットを結成して、歌手(音楽)活動をすることもあり、これは声優ユニットと称されることが多い。『アイドルマスター』や『ラブライブ!』などのように、ドーム球場でライブを行う人気作品もある[注 13]。
オリコンなどのヒットチャートにおいては、かつてアニメソングは児童向けの曲として別に集計されていた。また、アニメ専門店や家電量販店は集計の対象外だった。これらが修正された1990年代半ばごろから、声優の歌のCDがランキング上位になることが増えた[117]。
1997年(平成9年)2月に椎名へきるが声優初となる日本武道館単独コンサートを開催したのを皮切りに、声優が武道館のような大きな会場で単独コンサートを開催するようになっていった。2011年12月には水樹奈々が声優初となる東京ドーム単独コンサートを開催した[注 14]。
アニメソングが一般層にも浸透するにつれ、声優が音楽テレビ番組に出演して歌を歌うことも増えている。1997年(平成9年)には椎名へきるが「ミュージックステーション」に、2009年(平成21年)には、水樹奈々がNHK紅白歌合戦(第60回NHK紅白歌合戦)に、それぞれ声優として初めて出演している[注 15][注 16]。
水樹奈々や茅原実里、蒼井翔太のように、元来歌手を志望していた人物が声優となり、のちに歌手としてもデビューするということもある。
ラジオパーソナリティ[ソースを編集]
声優によるラジオ番組のパーソナリティは、古くから存在するが、1990年代以降は文化放送やラジオ大阪、ラジオ関西がアニラジ専門の放送枠を設けるなど、番組数が急増した。2000年代以降は、地上波放送だけでなくインターネットラジオ番組も増えている。
バーチャルYouTuber活動[ソースを編集]
2010年代後半からYouTuberが人気を博しはじめて、アニメファンや声優ファンの間ではバーチャルYouTuber、VTuberも熱い支持を得ていく。キズナアイを筆頭とするバーチャルYouTuber達が一大ジャンルとして着実に市民権を得ていくが、その中でも顔出しのYouTuberを凌ぐ程の人気を誇るバーチャルYouTuber達も多い。バーチャルYouTuber/VTuberはYouTuberとして動画配信を行うCGキャラクターのことであるが、アバターを使って動画配信をする専用機器を装着した演者の表情や動きを読み取るモーションキャプチャー技術と3DCGで作られたキャラクターをアニメーション化して声をあてることで、キャラクターが実在しているかのように見せている。そして"声での演技力"が求められるため、キャラクターに声をあてている人物は声優であることが多いことが知られる。かなりの割合でプロの声優がその演者として声や体の動きを担当しバーチャルな存在として活動していくが、VTuberはキャラクター自身が動画を投稿しているという設定となっており、声をあてている人に言及することはファンの間で一種タブー視もされている。
VTuberには企業等の運営者と声優等の演者が関わっているため、声優がVTuberになる方法として、まず運営者から声優事務所に演者を募集するオーディションの話が来て、声優がそれを受ける。
ただし一般的に声が認知されていて人物が特定されるような人気声優が務めること[注 17]は少数であるが、これはアニメのアフレコやナレーションなどの一般的な声優仕事よりも報酬が少ないためで、人気声優ではなく知名度でなくあまり売れていない声優やキャリアの少ない新人声優が起用されるケースが多い。個人がかろうじて食べていける金額にはなってもモーションアクターなど、通常の声優の仕事ではない業務を含むなど台本通りにキャラクターを演じる仕事ではなく、台本なしで自分の話をする配信者の役割を担うことなど、声優仕事の中では所属事務所が儲けを得るほどにはならない職ともいえる。
VTuberの演者への報酬は台詞の量にもよるが、その業界に相場が無いのでピンキリとされ、声優が行う仕事とは金額に大きな差があり報酬が合わず、VTuberの演者は声優の仕事よりも報酬が落ちるとされる。またそもそもVTuber自体が厳しいYouTubeの世界で生き残るのは難しいことも知られる。
担当声優の交代[ソースを編集]
長期シリーズを中心に、担当声優の引退や逝去、降板以外に、諸般の事情による交代も時折起こる。また同じく病気や産休、事故などによる療養や、海外留学などによる休業により「一時的に」別の声優が代役を担当する例も多く見られる。
- 一例
白金燐子役 明坂聡美(突発性難聴によるBanG Dream!のメディアミックス活動へのドクターストップ)→志崎樺音
- 『クレヨンしんちゃん』
野原しんのすけ役 矢島晶子(降板)→小林由美子
ホラーマン役 肝付兼太(逝去)→矢尾一樹
- 『ドラえもん』(テレビ朝日第1期)
スネ夫役 肝付兼太 (一時入院)→龍田直樹
異性の役・子役[ソースを編集]
男性と女性とでは声質が違うということもあり、アニメのアフレコや洋画の吹き替えなどで、女性声優が男児(特に変声前の少年・幼い男の子)の声を演じるという例はよくある。子供を演じて違和感がない男性声優は石田彰や代永翼、梶裕貴など少数いるが、少年のキャラクターを子役以外の男性の声優が吹き込むことはあまりない。
そして男性声優が女性(特に少女・幼い女の子)の声を演じるという例は蒼井翔太や村瀬歩、山本和臣など僅かである(地声が高くないと務まらない)。
日本で大人が子供の役を演じた最初例として、1954年(昭和29年)のNHKラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』が知られるが、子供の役に子役を起用するのは、演技指導などで難しい面があった。
子役が台詞の多い主要キャラクターとして起用の例はばらかもん、夢色パティシエール、クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!など少数である。
ハリウッド映画で、子供が主人公の映画が流行した1980年代には、日本でも吹き替え版で少年役を子役に演じさせようとする傾向が多く見られた。当時児童劇団に所属していた者が子役の吹き替えを担当しており、浪川大輔のように声優になった者もいる。
日本以外では、子供の役は子供に担当させることが主流である。脚本家のブレイク・スナイダーは、8歳のころにTVプロデューサーだった父親の手伝いとして、スターリング・ホロウェイらとともに子供の役を演じていたが、変声により解雇されている[118]。
日本以外の声優[ソースを編集]
諸外国では日本のように専業の声優が確立している国は少ないとも言われる。アメリカでは代表的な人物だけでも200人以上おり[119]、近年では日本アニメの吹き替えや音声入りゲームの増加により、声優業がメインの役者も増えている。
劉セイラ、ジェーニャ、天城サリーのように、海外の出身で日本語が母語ではないが、日本語を習得して日本国内で声優として活動している例もある。
日本のコンテンツであっても外国人役としての需要がある[120]。
経歴[ソースを編集]
声優の経歴としては、以下のような例がある。
放送劇団[ソースを編集]
NHKと民放が組織した劇団で、局のアナウンサーとは別個に、芸能を担当するために放送局で養成され、おもにラジオドラマを担当した放送タレントである。
彼らを指す言葉として「声優」が生まれた。
芸能事務所などの台頭で現在ではすべて解散している[121]。
NHKの東京放送劇団からは、巖金四郎、加藤道子、中村紀子子、大木民夫など、NHK札幌放送劇団出身の若山弦蔵、NHK九州放送劇団出身の内海賢二など多数。
民放ではのちのTBSにあたるラジオ東京放送劇団からは大平透、中村正、滝口順平、田中信夫、朝戸鉄也、向井真理子など。
地方局では、CBC中部日本放送劇団出身の中江真司、RKB毎日放送劇団出身の八奈見乗児など。
地方局で活動していたのはラジオドラマの全盛期までのことで、テレビ時代になると海外作品の日本語吹き替えなどの声優の仕事は東京に集中していった。
声優養成所・声優学校[ソースを編集]
声優プロダクション付属の声優養成所、声優になるためのレッスン指導を主とする養成所、声優関連の学校(声優養成学科がある専修学校)などの出身。
声優になることを目指すには、声優の養成所や専門学校に通うのがもっとも一般的である。養成期間はおおむね1年から3年で、養成期間修了後に行われる所属オーディションに合格するとプロダクション所属となる。この時点では「新人」「ジュニア」「仮所属」などと称される見習い期間となる。見習い期間が終了し、内部審査を経て、認められた者だけが正所属(正規に所属する)となる。
学生時代のうちから養成所に通う人間もいれば、社会人になってから養成所に通う人間もいる。多くは前者の例だが、若本規夫、茅野愛衣、金田朋子などは社会人を経て養成所に通うようになり、その後に声優となった。また生天目仁美などは声優の専門学校から劇団(東京乾電池)を経て養成所に通ってデビューしている。
81プロデュースや賢プロダクションなどのプロダクションによる、専門学校や養成所からだけでなく一般からも募集する一般公開形式のオーディションも開かれているが、こうしたオーデションのグランプリ受賞者は特待生として経営する養成スタジオでのレッスンのほか、デビューだけではなくその後の長期的な声優活動をバックアックもなされる場合がある。
神田沙也加は2012年(平成24年)に声優としても活動し始めるが、それ以前から声優の養成学校に通って準備をしていた。佐々木李子も歌手としてデビューしてから、声優の専門学校へ進学し、その後声優も始める。
大塚明夫[注 18] は、自著『声優魂』の中で、養成所や専門学校は生徒の将来や給与の保証をする必要がなく、「声優学校や養成所というのは非常に儲かる商売です」「売れなければ『お前のせいだ』でおしまい。うまいことスターが出れば『ありゃあ俺んとこで育てたんだ』と言えばいい。それを広告塔に次の声優志望者たちがやってくる。はっきり言って、ローリスク・ハイリターンです」と述べている[122]。また「『安全策』として学校という道を選ぶ人は、その時点である種のステレオタイプを選んでいるということ、そしてこと芸能の世界においてステレオタイプほどすぐさま使い捨てられる存在はない」と指摘している[122]。
大学芸術学部・演劇学科[ソースを編集]
日本大学芸術学部、桐朋学園芸術短期大学、玉川大学などの大学教育機関の出身者。広川太一郎、平野文、榊原良子、かないみか、うえだゆうじ、潘めぐみなどがいる。小山力也などは別の大学を卒業してから進学した。
子役が進学した例としては冨永みーな、平野綾、宮本佳那子など、在学中または卒業後に声優養成所に通う例としては石田彰、川上とも子、宮村優子などがいる。
俳優・舞台役者[ソースを編集]
舞台演劇やミュージカルで活動する舞台役者が、その後声優として長く活動するようになる例は、声優という職業が成立する時期から多く存在しており、納谷悟朗などがこれに該当する。
吹き替えを中心に、俳優として活動してきた役者が声優としても長く活動するようになる例もあり、津嘉山正種、磯部勉などがこれに該当する。
劇団や舞台での経験が声優業にも良い影響を与えてるという意見もある[123]。
朴璐美のように劇団所属中に、オーディションで役を射止めて声の仕事を得た例もある。劇団にいた天麻ゆうきは、東京ミュウミュウ にゅ〜♡の一般公募オーディションに合格した事をきっかけに、芸能事務所に所属している。
タカラジェンヌ出身の声優には太田淑子、葛城七穂、水城レナ、涼風真世、七海ひろき、森なな子などがいる。
子役[ソースを編集]
児童劇団などに所属する子役が、アテレコ・声優の仕事をするようになったことがきっかけで、そのまま声優業を中心に活躍する例は、声優という職業が成立する時期から多く存在しており、池田秀一、古谷徹、古川登志夫、吉田理保子、玉川砂記子、三ツ矢雄二、塩屋浩三・翼兄弟、岩田光央、本名陽子、愛河里花子、などがこれに該当する。近年では、宮野真守、内山昂輝、木村良平、入野自由、三瓶由布子、木村昴、飯田里穂、悠木碧、喜多村英梨、小野賢章、豊永利行、日高里菜、花澤香菜、小倉唯、宮本侑芽、諸星すみれ、黒沢ともよなどがこれに該当する。
通常は児童劇団出身が大半であるが、千葉紗子や南里侑香、小林晃子、滝田樹里、中山理奈など南青山少女歌劇団や、主に少女モデル業をしていて、事務所内で声優部門に移籍した上坂すみれのケースなどもある。
一般公募[ソースを編集]
直接声優を募集するコンテストで入選したことがきっかけで、声優として活動するようになった例もある。
声優志望者のオーディションでは、全国からオーディションで人材を集める。実際、声優事務所とアニメ制作会社や雑誌社が組んで行う、主役声優の一般公募、事務所独自で行うオーディションもある。
一般公募であれば、全国から人を集められるほか、オーディションに応募するというモチベーションが高い人材が集まることで、そこから優秀な人が出てくる確率がかなり高いとみている[124]。
国際声優育成協会主催のオーディション声優コンテスト『声優魂』をきっかけに、養成所に入所する例もあるが、博報堂による声優オーディション企画「全日本美声女コンテスト」出場がきっかけで直接プロダクションに所属する例もある。
他には沢城みゆき、佐々木未来、井口裕香、後藤沙緒里、三澤紗千香、進藤あまねらのように、高校で演劇部や放送部などで鍛えておいて、または興味で直接公募された一般公募オーディションに出場して合格し声優になる例のほか、阿澄佳奈は小梅伍や2005年(平成17年)での公開オーディションで、ジュニアアイドルの経験はあった水瀬いのりも公開オーディションであるソニー主催のアニストテレス入賞によって、声優になっている。アニストテレス出身者のうち、伊波杏樹は専門の学校出身者であるが、声優教育を受けてない楠木ともり、たけだまりこらは歌手志望でコンテストに臨んでいる。
ミュージックレイン所属で同事務所主催の公募オーディションで選出されたメンバーによる声優ユニットのうち、スフィアでは戸松遥以外は寿美菜子は子役や学校に、高垣彩陽は大学で声楽を専攻していた、豊崎愛生は高校時代から地元のTV番組やCMなどで芸能活動していたが、一方でTrySailの3名は、実績等無く同オーディションに応募し合格し声優となっている。
エイベックス と 81プロデュースが組んで、行われた「アニソン・ヴーカルオーディション」でメンバーを選んで結成した声優ユニットのうち、i☆Risでは山北早紀、芹澤優、若井友希らは養成所等に通っていたが、茜屋日海夏、久保田未夢、澁谷梓希らは養成所等を経ず上記オーディションでの選出。またWUGのうち、吉岡茉祐は子役の実績はあったが、他のメンバーら(永野愛理、田中美海、青山吉能、奥野香耶、山下七海、高木美佑)同様、養成所等経ず上記オーディションでの選出である。81プロデュースでは近年の人気声優は軒並み毎年一般公募で8月に開催されている81オーディションでデビューしている。
他にも「ぽにきゃん声たまプリンセス」「全日本アニソングランプリ」など、一般公募のコンテストが開催されている。全日本アニソングランプリ出場・入賞をきっかけに声優になった者は多い。
その他[ソースを編集]
花江夏樹は直接プロダクションにアプローチしたが、こうした例はレアケースとして知られる。ただし研音など事務所側で募集をしている場合も実際に存在する。他にスターダストプロモーションが声優オーディションを、大沢事務所が研究生募集のオーディションを手掛ける。
子役や劇団所属の舞台俳優からの転身の他は、アイドル、グラビアアイドル、歌手、モデル、特撮番組系俳優、お笑いタレント、レポーター、コスプレイヤーなどといった経歴のタレントが、声優の仕事をするようになったことがきっかけで、もしくはオーディションで役を得て、そのまま声優業を中心に活躍する例がある。例えば仲村宗悟は声優アーティストになる前は音楽活動のみをしていた。久保ユリカは声優になるまではニコモを経てグラビアアイドルをしていた。飯田里穂も子役からグラビアアイドルを経ている。小林晃子はアニラジのがやオーディション、宮本佳那子は挿入歌の歌唱オーディションから、柚木涼香もなるまでには映画女優、ヌードモデルなど、山本彩乃はグラビアアイドル、工藤晴香はファッション誌モデルであった。小松未可子も選出オーディションはアイドルオーディションで、ゆりんはホリプロ時代はタレント業、MAKOはガールズバンドグループ活動休止の後、後藤友香里はAAAの追加メンバーから声優ユニット「Trefle」へ、岩男潤子はアイドルから童謡歌手[125]を経て、森田成一は俳優を経て2001年から、声優へと転進している。
アイドルから声優への転身は日髙のり子や佐久間レイ、宍戸留美、桜井智の例が知られるが、特に2010年代になって以後は、現役アイドルのまま声優としても活動する人間が登場、増加するようになっている[126]。
一例として、仲谷明香(元AKB48)、前島亜美(元SUPER☆GiRLS)、佐武宇綺(9nine)などが挙げられる。
一方で、声優になるための足がかりとして、アイドルをしていた例や、歌手(#声優アーティスト)になるための足がかりとして、声優を目指す例もみられる。
福井裕佳梨は最初芸能事務所に所属して仕事を始めたので、キャリア初期にはものまねやグラビアアイドル活動等のアイドルタレント業を多くこなしていた。
秦佐和子はアキバ関連を扱う雑誌に載っていたオーディションの募集だということで、SKE48になるのが声優への近道と思っていた。
夜道雪は地元で10代の時にスカウトされたことをきっかけにローカルアイドルとして活動の傍ら、配信ゲームで声を当て、上京した後も養成所に通いながら独力でYouTube活動とコスプレーヤーをしながら声優への道に進んでいる。
異色の例に、芸人から声優業に移行した郷田ほづみや、相羽あいなのように女子プロレスラーという異例の経歴をもって声優を行っている者なども知られる。また清水愛は声優界初の兼任女子プロレスラーとして知られる。
エリック・ケルソーは元々映像監督であったが、来日後にナレーター、英語吹き替え、ラジオパーソナリティと活動分野を広げアニメやゲームの声優としても活動している。
他分野の芸能人・著名人などの声優活動[ソースを編集]
俳優・歌手・音楽家・アイドル・グラビアアイドル・モデル・お笑いタレント・スポーツ選手・著名人が、声優活動をすることや、作品によって声優に起用されることがある。
アニメーション作品においても、本人役という手段で作品に登場させ、本人にアテレコをさせる例は多い。
もともと、専業の声優が確立されていなかった時代、東映動画の長編作品のころから、長編アニメーション映画において、ほかの芸能人・著名人などを声優に起用することは珍しくない。1990年代以降のスタジオジブリ制作作品、2000年代以降のスタジオ地図制作作品に至るまで、こうした傾向は現在でも続いている。
なお、副業でできる声優としてオーディオブック、朗読のアルバイトなど、声で稼げる仕事として求人サイトやバイト情報、クラウドソーシングで募っていることがある。
役者以外を声優に起用すること[ソースを編集]
第1次声優ブームに行われたアテレコ論争では、声優の地位問題が提議されている。アテレコの演技性を巡っては、俳優の起用は暫定的なものに過ぎず、「落語家でもアナウンサーでも、観光案内係でも、声を使う職業の人の中から選ばれてもよいことだ」という意見も示されている。
アニメ監督の高畑勲は、プレスコを採用した『平成狸合戦ぽんぽこ』で落語家の柳家小さん、アナウンサーの福澤朗などを起用している。
ミッキーマウスの声優をつとめていた青柳隆志は、大学教授が本業であり声優は副業であった。
アニメ監督の宮崎駿は、「映画は実際時間のないところで作りますから、声優さんの器用さに頼ってるんです。でもやっぱり、どっかで欲求不満になるときがある。存在感のなさみたいなところにね。」という見解を示した事があり、『となりのトトロ』ではコピーライターの糸井重里を起用している[127]。直近の長編作品である『風立ちぬ』においてもアニメ監督の庵野秀明を起用し、「逆に庵野(秀明)もスティーブン・アルパート[注 19]も存在感だけです。かなり乱暴だったと思うんですけど、その方が僕は映画にぴったりだったと思いました。」とその意図を説明している[128]。
劇中でテレビニュースが映る場合は、リアリティを重視して放送局に所属する本業のアナウンサーを起用する例があり、フリーアナウンサーの松澤千晶はアナウンサーやレポーター役としてのみ出演している。
なお、ナレーションやアナウンスも声優の仕事の一部であるが、フリーアナウンサーが声優という肩書きで活動する者はいない。黎明期には局のアナウンサーが声をあてた事例もあるが、現代では演技を行わないアナウンサーと声優は、別な職業としてとらえられている。
希に制作スタッフや原作者がゲスト出演で起用されることもある。
- ミュージシャンが担当するケース
劇中に楽曲、歌唱が重要な際に起用されることもある。
リン・ミンメイ役の飯島真理、細田守監督『竜とそばかすの姫』の中村佳穂、『魔法の天使クリィミーマミ』の太田貴子、 『魔法のスターマジカルエミ』の小幡洋子など。
ミュージシャンが声優業を行うのは無理としている意見もあるが[129]、ディズニー公式動画配信サービスの『ソウルフル・ワールド』ではグラミー賞アーティストが声優参加しており、日本語版も瑛人がストリートミュージシャン役の日本版声優としてカメオ出演する。
『とっとこハム太郎』のミニハムずや『ゾンビランドサガ』のホワイト竜のように、本人らをイメージしたキャラクターを当てる手段や、山崎ハコが『ちびまる子ちゃん』に本人役で出たケースもある。
『BanG Dream!』プロジェクトのバンドユニットのうち、RAISE A SUILENに参加するRaychell、夏芽は他グループのバックバンドもつとめていたミュージシャン、小原莉子は並行してバンド活動をしていた。Morfonicaに参加する西尾夕香もDJ等の音楽活動、mikaはドラマー、Ayasaはバイオリニストである。
俳優の起用[ソースを編集]
テレビ人形劇では声優の仕事が確立される以前から放送されたこともあり、俳優や劇団員が起用された。その後も俳優が選ばれることが多く、2014年(平成26年)に放送されたシャーロック ホームズでは俳優と声優が混在して起用された。映画では俳優が起用されることが多い[130]。
アニメ監督の原恵一は、他の芸能人や劇団の子役・俳優を声優に起用している[131]。同じくアニメ監督の富野由悠季は、声優の演技は型にはまっていると批判したことがあり[132]、主役に劇団出身者や新人声優を多く起用している。同じくアニメ監督の押井守は、存在感と新鮮さが声優に勝ることがあるとして[133]、複数の作品に俳優の竹中直人を起用しており、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』ではメインキャラクターに俳優を起用した。
テレビアニメ作品では『ムーミン』(1969年〈昭和44年〉)の岸田今日子、NHK版『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』(1972年〈昭和47年〉)の谷啓やうつみみどりなどが選ばれ、フジテレビ「日生ファミリースペシャル」枠のアニメ『坊っちゃん』『姿三四郎』(1980年〈昭和55年〉)では西城秀樹がつとめた。その後も監督が抜擢するなどして俳優が選ばれる例がある。『ノブナガ・ザ・フール』では原作・シリーズ構成の河森正治が宝塚歌劇団を取材した際、現役タカラジェンヌである七海ひろきの舞台を見て抜擢した。七海は宝塚退団後も俳優兼声優として活動している。『富豪刑事 Balance:UNLIMITED』では監督の伊藤智彦が有名声優を使うことよりも作品のオリジナリティを重視したことや、大富豪である主人公の存在感を際立たせるため、イメージに合う声としてダンサー兼俳優の大貫勇輔を抜擢した[134]。
上述の俳優が声優に起用されることに関して、アニメを多く手がける脚本家の首藤剛志は「マイクの前で声を出しているだけの声優よりも、声優としての技量が劣っても、実際に観客の前で芝居をする俳優が買われているのではないか」と述べている[135]。
俳優の納谷悟朗は舞台も声優も同じであるとし、その上でアテレコの難しさとは声を当てる対象が行う芝居の把握にあると説いている。声優を目指す者に対しては「基本でしょう。さっき言った、いわゆる舞台という演技の基本をきちんとしないとだめだっていうことですね」と述べている[136]。
俳優の矢島正明は声だけで入ると己で役を肉体化する基本が抜け落ちるとし、声の仕事を目指す者に対しては「『声だけだから簡単だわい』、と思わないでほしいなということがまず第一です。声優を志すならば、やはり芝居から入ってほしいと思います」と説いている。また、後進達に対しては「このごろの吹き替えの世界で、芝居の人たちが席巻してきているということは、声優として純粋に育ってきた人たちは何か危機感を感じなければならないと思うんですよね」とも述べている[137]。
俳優の野沢那智はハリウッド映画の俳優・女優が百戦錬磨の役者である事を強調し、「だから、役者として必死に修行しないと、アテレコなんてやっちゃいけないんだと思うんだよね」と述べ、アテレコの心構えを彼らと同じだけの芝居ができるようになる事に求めている[138]。
女優の戸田恵子は自身の声優観を「役者として怠っていることがなければ、それは声優としてもOKということ。私は『声優であるために』と思ってしていることは、一つもありません」とし、役者の仕事と何ら隔たりはないと述べている[139]。
声優の難波圭一は「いいですよね。ぼくは声優という小さな世界がなくなることを望んでいます」と肯定的な考えを持っている[140]。
俳優などを多く起用するゲームシリーズ『龍が如く』では、ある有名俳優を起用したが事前準備もされずに収録に臨まれ、演技がなかなか上達せず横山昌義の指示で何度もリテイクが行われ、時間をかけてその場面の距離感や感情を説明して及第点といえるところまで収録できたが「同じ苦労をした別の役者に申し訳ない、妥協はしたくない」として仕方なく降板してもらったという事例もある[141]。
女優の吉岡里帆は声優は完全に別職業であるとして、「今後、もし万が一『吉岡里帆の声でなくては成立しない』というような話があれば、それはとてもうれしいですし、ちゃんと勉強して挑みたいです」と述べている[142]。
女優の夏木マリは声の仕事を音のテンポや高低や強弱など、いろいろなものを体をつけてやる全身運動だとする見解を示している。俳優として巡りあったことは非常にラッキーであり、「俳優さん、全員がやられたほうがいいと思うくらい、勉強になるいい仕事だと思います」と述べ、吉岡里帆にも勧めている[142][143]。
芸人の起用[ソースを編集]
お笑い芸人としては、ルパン三世の物真似から山田康雄の死去に伴いルパン役の声優をやることになった栗田貫一、『アイシールド21』(2005年〈平成17年〉〜2008年〈平成20年〉)の田村淳、『天体戦士サンレッド』(2008年〈平成20年〉)の山田ルイ53世、などが知られる。アメリカザリガニの柳原哲也は、特徴的な声質を活かし、多くのアニメ作品で声優を務める。
アニメ映画では俳優同様のゲスト出演が大半であるが、コメディアンは元々コントや漫才でさまざまな役柄を使い分けることもある。このため、俳優やタレントに比して優れた演技力を持つ人も少なくない。コメディアンやお笑い芸人役で起用される例もある。
声優と講談師を兼業する一龍斎貞友、六代桂文枝門下でラジオパーソナリティDJ・ナレーションを本業で声優業もこなす高杉’Jay’二郎(亭号は初代三枝亭二郎)、声優芸人という肩書きで活動する、元声優のよしもと芸人あつひろなども知られる。
特撮番組系の俳優の声優活動[ソースを編集]
東映の特撮変身ヒーロー作品、とりわけ「仮面ライダーシリーズ」の「昭和ライダー」最終作にあたる『仮面ライダーBLACK RX』および「スーパー戦隊シリーズ」では、『炎神戦隊ゴーオンジャー』に至るまで長きにわたりオールアフレコで制作されてきた。
いわゆる「平成ライダー」第1作にあたる『仮面ライダークウガ』[144] および『侍戦隊シンケンジャー』[145] から、俳優が顔出しで演じるシーンは基本的に一般的なドラマと同様の撮影同時録音方式に切り替えられたものの、現在でもスーツアクターが演じる変身後のシーンなど番組制作の各所でアフレコが多用されているため、特撮番組に出演経験のある俳優は、声優としての演技経験を事実上しているとも言える。そのためか、特撮番組で出演経験のある俳優がアニメなどの声あてをすることもあり、中には松風雅也、土田大、中田譲治、市道真央など、声優を本業として転向した者もいる。
特撮に登場する怪人など人間の姿ではないキャラクターの声には、最初から声優が起用されることもある。
曽我町子、内田直哉、西凜太朗、小川輝晃、岸祐二、菊地美香、五代高之、植村喜八郎、望月祐多、池田純矢、相葉裕樹など、特撮番組を経験した俳優には声優と両立する者が多い。
VTuberの進出[ソースを編集]
2010年代から歌い手のそらるがタイアップでいくつか起用されているほか、2018年(平成30年)にはバーチャルタレントを対象に、声優出演・アニメエンディング曲担当の権利をかけたオーディションを実施したTVアニメ「賢者の孫」ではオーディションを勝ち抜いた吉七味。が声優及びEDテーマを担当、また特別賞を受賞した雛乃木まやが声優として出演する。
「ジャヒー様はくじけない!」といったタイトルでも、話題のライバー(動画配信者)達がキャスト出演や主題歌アーティストなどを務めている。
「100万の命の上に俺は立っている」に、にじさんじの樋口楓と静凛が出演し、さらに樋口楓がOPテーマ「Baddest」を歌唱起用されている。
『ルパン三世PART6』や『邪神ちゃんドロップキック』の3期にもVTuberが声優として出演。
2020年(令和2年)以降、ホロライブなどに属するVTuberの声優業進出が盛んとなっている。
その他テレビアニメ『探偵はもう、死んでいる。』では白上フブキと夏色まつりがそのままの役としての出演を果たしている。こうしたアニメでの活躍もアニメキャラがまるで実在しているかのような設定で活動しているのではなく本人役でのアニメ出演は実在のタレントが本人役として登場する形に近い。基本的にVTuberは、バーチャルタレントであるライバーの姿そのものが本人という設定である。このため存在としては実在の声優やアーティスト、YouTuberに近い。
図式としては、すでにキャラクターを演じているVTuberが、アニメやゲームのキャラクターを演じることになる。VTuberというバーチャルタレントには中の人と呼ばれる演者(モーションキャプチャーなどの際)と声をあてる人物がおり、声優が行っている場合もある。キズナアイのような本来のバーチャルなユーチューバーは少数派で、いわゆるストリーマーのような活動をしている人がほとんどとなってきている。
VTuberらにとってこうした活動は実在するタレントやアーティスト同様、純粋にVTuberが活躍の幅を広げ、声優出演・音楽活動をしているといえる。
Napoleon社の運営するVTuberプロダクションぼいそーれは、2Dや3Dのアバターを使用したタレントが声優としてデビューをし、声優業界において活躍をする「V声優」というコンセプトを持っている。
一方で、VTuber/バーチャルYouTuberになるためのオーディションも、ひろくおこなわれている。
批判[ソースを編集]
映画では作品の質よりも話題性を狙って芸能人・著名人などを声優に起用するということも多いため[146]、芸能人・著名人などの声優起用に批判が出ることもある。
2007年公開のアニメ映画『ザ・シンプソンズ MOVIE』や2012年(平成24年)公開の映画『アベンジャーズ』などで、これまでのシリーズで日本語吹き替えを担当していた声優を、新作映画で俳優・タレントに交代する事態が発生しており、企業への批判が殺到した。『ザ・シンプソンズ MOVIE』『TAXi④』『エクリプス/トワイライト・サーガ』ではソフト化に伴い、劇場公開版に加え、もともと担当していた声優陣による新たな吹き替え版が同時収録された。しかし、ソフト化の際に劇場公開版のみが収録される作品が大半である。特に『アベンジャーズ』ではキャスティングの変更などに対する批判のコメントがAmazon.co.jpの本作品のレビュー欄に殺到する事態となった[147]。2012年(平成24年)公開の映画『プロメテウス』の主人公エリザベス・ショウ役の吹き替えにタレントの剛力彩芽が起用された際、ソフト化に際して変更もなかったため『エイリアン』シリーズのファンなどから酷評され、Amazon.co.jpのレビューが炎上した[148]。
『ターミネーター3』や『サイレントヒル: リベレーション3D』のように、劇場公開版では芸能人が吹き替えを担当したが、ソフト版では声優に差し替えて収録する場合もある。また、『X-MEN フューチャー&パスト』のように、新規バージョンをソフト化する際に収録し直す例もある。
2004年(平成16年)公開のアニメ映画『イノセンス』では、プロデューサーの鈴木敏夫が大物俳優の起用を立案し、草薙素子役を田中敦子から山口智子に変更しようとしていたが、スケジュールの都合に加えて「できあがっているイメージを変えるべきではない」と出演を固辞した山口と、監督や声優陣の反対により田中が続投したということがあった。
鈴木はスタジオジブリが本職の声優ではない人物を使う理由について、『ジブリの教科書3 となりのトトロ』では、プロの声優について「『わたし、かわいいでしょ』みたいな」声への違和感、そしてプロの声優を使わないことについては『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』にて、『耳をすませば』で月島雫のお父さん役をつとめた立花隆との対談で、『となりのトトロ』のオーディションの際に声優であるとやっぱり普通のお父さんになってしまうため、おとうさんっぽくない感じを求めて糸井重里を、『耳をすませば』の雫のお父さんも同様の見解で立花を選出しており、声優の芝居はハレとケにわけると「ハレ」であるが、日常芝居が多いジブリ映画で実際にほしいのは「ケ」であるとしている[149]。
オリコンスタイルで「タレント(芸能人や著名人など)を声優に起用するべきか、それともしないべきか」というアンケート調査を2014年(平成26年)に行ったところ、ほぼ半々に意見が分かれた[150]。
一方で2020年(令和2年)に大ヒットを記録した『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』では、新登場したキャラクターも含め全員を声優で固めており、話題性のためにタレントを起用する流れが変わるという予測もある[151]。
声優による他分野での芸能活動[ソースを編集]
2000年代以後、声優が歌手や俳優(特に舞台)など、ほかの分野での芸能活動をすることが特に顕著になった。
声優がほかの分野での芸能活動をする例のひとつとして、俳優活動が挙げられる。理由として「声優さんには『ああ、あの声の人だ』という知名度ならぬ『知声度』があるので、仮に顔がいまいちわからなくても、『声』がわかったときの感動や話題性があるから」が挙げられる[152]。
但し、キャラクターと声優の間に相関性を構築し、その結びつけをする役割を果たす媒介として、これまでは声が最も大きな役割を果たしてきたが、2007年(平成19年)のブシロードなど、後にメディアミックスを展開する企業も設立されて以降はさらに進んで、アニメやコンピュータゲーム作品そのもの単体で行われるのではなく、作品に関わるイベント出演(顔出し)やラジオなどの要素も色々用いて結びつけが行なわれていく。アニメの視聴者はキャラクターの声を演じる声優であるという認識をしていることが前提となることで、以降から声優とキャラクターを結びつける要素は声だけではなく、視覚的要素と特定の声優個人についての認識に依るものになっている[153]。
他方、俳優活動の中でも、舞台での活動と両立する声優が少なくないが、理由として「舞台はやり直しができず、実際にその芝居や息づかいが観客に見られていることで、それが声の芝居に生きるから」などが挙げられている[154]。
田中真弓は現在も舞台を手がけており、てらそままさきも俳優活動と並行して特撮キャラクターのアテレコを行っていたほか、中田譲司も元々俳優業にも力を入れていた。
また、声優が歌手などの活動と両立させる例が、特に2000年代以後に顕著になっているが、これについては下記の節にて述べる。
2014年(平成26年)にはオスカープロモーションと青二プロダクションが共同で開催した容姿と声の2つの要素に ""「美しさ」を兼ね備えた女優・声優を発掘する"" 「第1回全日本美声女コンテスト」が開催された。おもな出身者に漫画家、アイドルとして活動する辻美優、花房里枝にピアニスト、ファッションモデルなどの活動をする入江麻衣子が挙げられる。
栗林みな実、桃井はるこ、牧野由依など、他の声優に楽曲を提供するソングライターをしている例、白壁爽子、伊藤しずなはグラビアアイドル活動と、能登有沙は振付師、モーションアクターとしても活躍している。
この他、豊崎愛生や斉藤朱夏などが務めた、朝の情報番組でのお天気お姉さんというのもある。
声優としてデビューした後芸人に転向しつつ声優活動もこなす、こやまきみこ(お笑い芸人としてネタ見せをする際には「きみきみ」名義)の例があった。 NSCに入学し、2010年(平成22年)には吉本興業に移籍するなどで2011年(平成23年)まで芸人活動を行なっていた。
六代目三遊亭円楽を父に持ち、落語家活動も行っている青二プロに所属し声優業をする会一太郎(高座名は三遊亭一太郎)もおり、塩屋翼や木村昴も噺家の高座名を持っている。
声優もSNS活動の他、YouTuber活動として専用チャンネルを開設し配信を行っているものも幾人かある。例えば花江夏樹や杉田智和のチャンネルは登録者数も数百万人を超えているほど人気を博す。
「アイドル声優」と「声優アーティスト」[ソースを編集]
歌手などの活動と両立させる声優について、「アイドル声優」あるいは「声優アーティスト」と表現する例が多い。
アイドル声優[ソースを編集]
アイドル声優とは、第3次声優ブームと称されていた1990年代半ばごろから出てきた俗称。このころにはボイスアイドルとも呼ばれた[155]。
本業にとどまらず、歌を通してそのCDを発売、ライブを開催するなど歌手活動をする、声優専門誌や漫画雑誌などのグラビアに登場する、写真集やイメージビデオを発売する、CMに出演する(これはいわゆる「Web CM」を含む)などといったアイドル的活動を行う声優を指すことが多い。
戦前に遡るとラジオドラマで活躍した飯島綾子も流行歌・童謡などレコードを何枚か出していて、日本舞踊家でもあった。その後の横山智佐、氷上恭子、國府田マリ子、宮村優子など、1990年代にデビューしそうした活動を行う声優らも、その多くは前述の声優養成所で養成された声優が、それ以前にアイドルとしての活動経験/アイドルからの転進組などではない。しかし、こうした声優がマス・メディアに広く露出をしたことによって、1990年代の声優人気の受容は、それ以前の受容とは異なる状況を呈したが、特にこの時期から養成所を出たばかりの新人声優の報酬を安定させることを目的のひとつに声優の活動するメディアの拡大が計られ、その商業的な戦略のひとつとして様々な媒体を介した声優の顔出しがはじまったものとも推測されている[73]。
2010年代半ば以後には宮野真守、内田真礼[156][157]、竹達彩奈[158]、戸松遥[159][160]、三森すずこ[161][162]、佐倉綾音[163]、逢田梨香子[164][165]、斉藤朱夏[166] などのように、顔出しでCMに出演する例や、バラエティ番組やクイズ番組のゲストとして出演する例、マニア向けでない一般の漫画雑誌などでのグラビアに登場する例が増加するようになっている。
さらには、アイドル主体のアニメ・ゲーム作品における担当アイドル(キャラクター)を、そのまま実際のライブで再現する声優ユニットも登場し、専業のアイドルと比べても遜色のない例も存在する。例えばアイドルマスターシリーズ(THE IDOLM@STER・アイドルマスター シンデレラガールズ・アイドルマスター ミリオンライブ!・アイドルマスター SideM)、ラブライブ!シリーズのμ's・Aqours、Wake Up, Girls!、プリパラのi☆Risなどがある。
特に「ラブライブ!」シリーズのキャストは歌唱力やダンス力を重視したオーディションにより、それまで声優経験が皆無であった(女優などの他業種出身のメンバーに加えて、芸能界での活動経験自体がなかったメンバーもいる。楠田亜衣奈、降幡愛などがこれに該当)起用者も多くいる。
実際、i☆Ris、Wake Up, Girls!のほかに22/7などのように、「声優とアイドルの両立を謳うグループ」が増加するようになっている[126]。
2020年代になっても上智大学のミスコン優勝の鳥部万里子[167]、ミス日本コンテスト2020・ミス着物に選ばれた青木胡杜音[168]など、ミスコン参加者など容姿を評価された人物が声優を目指す例もある。
浅川悠が自身のブログで、アイドル化が進んでいるとも言われる声優界に苦言を呈し、関連して桑島法子は「アイドル声優は旬を過ぎたら使ってもらえなくなる」と述べている[169]など、演技とは関係の無い評価基準に疑問を呈す業界人も存在する。実際、1990年代から2000年代にかけての椎名へきるは歌手としての活動で人気を博し、相当数のコンサート公演を全国を巡業していたが、アフレコや吹き替えの仕事から遠ざける要因となり、アニメのレギュラー出演は年間で数本に過ぎない状況で、同業の職業声優を含むアニメ制作者の間でも声優として異端視されていたことが知られる[73]。花守ゆみりなどはインタビューで自身についてアイドル声優に見られたくないと述べている[170]。
一方で、やまとなでしこ結成時のインタビューで堀江由衣は声優になってからアイドル的な仕事があって驚いたというが、アイドルについてはその人自身に魅力があるわけで見てるだけで楽しくなれる、元気になれる存在とし、「それを悪く言うのって、変だと思う。見る人の心を潤す為の仕事をしていて、そうならない方が困るんじゃないかな」と見解を述べている。
声優アーティスト[ソースを編集]
声優アーティストとは、上記のアイドル声優に代わって2000年代半ばごろから出てきた俗称であり、おもに声優業と歌手業を両立させている声優を指すことが多い[89]。
この名称は椎名へきるが1994年(平成6年)のラジオ番組の開始にあたって、「アーティストと声優をしている」と自己紹介をしている点や、彼女の出身養成機関の広告フレーズからうかがい知れ、マネージメントをする者を含む制作者の影響が強く表れている[73]。
近年では歌手としての独立した活動までには至らずとも、アニメに出演する場合、主題歌などを担当したり[注 20]、各種関連番組(アニラジ、ニコニコ生放送など)やイベントへの出演など、タレント活動を求められる例が一般的になっている[171]。
TARAKO、坂本真綾、MoeMiのように並行してシンガーソングライターとして活動する者もおり、近年は沼倉愛美、鈴木みのり、早見沙織、楠木ともり、小岩井ことり、雨宮天ら自身の手による楽曲の作詞作曲を手掛ける声優アーティストも多くなった。小野友樹のミニアルバム「Winter Voice Friends」では自身の声優仲間らの楽曲提供により構成されている。
他にバンドを組んでいる者もおり、鈴木達央はOLDCODEXというバンド、近藤孝行と小野大輔は、テクノロジック・ヴォーカルユニット“TRD”、前述の小岩井ことりはメタルバンドDAW、田村ゆかりもメタルユニット120600mAh、谷山紀章は音楽ユニットのGRANRODEOで活動している。なお谷山はGRANRODEOではKISHOW名義で、同様のケースでは二ノ宮ゆいが声優時には二ノ宮ゆい、アーティスト時にはニノミヤユイと名義を分けて活動している。
『BanG Dream!』プロジェクトのバンドユニットのように、劇中で声を担当したキャラクターの音楽バンドを、実際においてもバンド活動を行うといったケースがあり、大塚紗英のようにシンガーソングライター活動がメインになっている者もいる。他にも女子高生ロックバンド漫画『ガールズフィスト!!!!』に登場するキャラクター4人と連動するかたちで活動中の、若手女性声優のロックバンドの南松本高校パンクロック同好会、会える声優ガールズロックバンドのHoneysComin'などがある。
また『from ARGONAVIS』プロジェクトのように、「GYROAXIA」のようなキャラクターの声を担当するの声優ユニットを、リアルバンドとしてメジャーデビューしました。
ヒーラーガールズのようなコーラスユニットと謳ったグループもある。
「アイドル声優」「声優アーティスト」のいずれの場合も、日本の女性声優に特に多いといわれる。
「アイドル声優」「声優アーティスト」のいずれであれ、声優の顔出しでの活動が増えた理由として、声優の社会的地位の向上のほかに、声優の役割やイメージの変化(「裏方的な仕事」とされてきたのが「ルックスや若さが重視される」ように変化した)が背景としてあると指摘されている[89][169]。
声優による他分野の活動[ソースを編集]
芸能活動ではないが、現役で声優をしながら養成所で講師をつとめたり、事務所を経営している者、音響監督などもしている声優は多い。
このほか、浅沼晋太郎は元々俳優のほかに脚本家をしていた。荒川美穂はある時期まで看護師をしながら声優をしていた。浅野真澄は絵本などを刊行して文学賞を受賞している。小杉十郎太はZガンダム時代、松竹で営業を担当するサラリーマン勤めをしており、また岩田光央は「AKIRA」時代にデザイン事務所で当時働いていて、兼業で声優をしていた。
プロボウラーと兼任する渡辺けあきや、プロ雀士でもある大亀あすかの例もある。
三木眞一郎、浪川大輔、石川界人、畠中祐らは「VART」という自動車レースチームを結成している。
声優プロダクション[ソースを編集]
声優が所属するプロダクションには通常の芸能プロダクションの声優部門の他に、声優が多く所属する声優プロダクションとがある。
声優プロダクションは、声優から手数料を徴収し、音響制作会社や放送局などに対して、アニメ・日本語吹替・ナレーションなど得意分野ごとに配置されたマネージャーが営業活動や声優の売り込みなどを行う。専門の養成所を持ったり専門学校と提携して新人の育成も行う。
もともと制作会社の関連会社に位置していて連携の強いプロダクションが存在し、特に2000年代は特に新たに創業される例が見られた[注 21] が、2010年代以降は制作会社の一部門として直営され、より連携が強固なプロダクションも存在する[注 22]。特定の制作会社との連携が強くとも、ほかの制作会社が手がける仕事も請ける。また、もともと音楽系のプロダクションでも声優のマネージメントを行う例が近年あり[注 23]、この場合は本業を生かして歌手活動も積極的に行われることが多い[注 24][注 25]。他分野中心の芸能プロダクションが声優部門に力を入れるようになる例も見られる[注 26]。
経済環境[ソースを編集]
声優は所属事務所からの基本給というものは存在せず[注 27]、各人の仕事実績によるギャランティ(報酬金)が収入となる個人事業者である。所属事務所とは通常1年更新のマネジメント契約を締結し、売込みやマネジメントの対価として業界平均で出演料の約20%から30%を事務手数料として事務所へ支払い、源泉徴収も10%[注 28] 引かれ[注 29]、この残りが声優の手取りの報酬となる[172]。歌手や俳優などと同じくシステムの競争社会であり、経済的に自立できずに脱落していく者も多い。
日本語吹き替えが始まった1960年代には、声の仕事は顔出し出演の7割の出演料「顔出しの七掛け」とされ[173]、低い位置にある仕事とみなされ、舞台俳優がアルバイトのような形でやっていた。舞台や実写の仕事と比較して、吹き替えの仕事は拘束時間が少なくかけ持ち出演が可能なため、数をこなせば収入を増やすこともでき、演技力を生かせることから不満に持つ者は少なかった。
声優の賃金待遇改善については、声優の多くが日本俳優連合(日俳連)に所属しており、日俳連は音響制作会社の集合体である日本音楽制作者連盟(音声連)、声優のマネージメントを行う事業者で組織する日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)と「三団体実務小委員会」を設けて、出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た。ときにはストライキ(1973年〈昭和48年〉8月8日)や街頭デモ活動を行うなどして、1973年(昭和48年)には報酬が約3倍アップ、1980年(昭和55年)には再放送での利用料の認定、1991年(平成3年)には報酬が約1.7倍上昇するなどの成果を勝ち取ってきた。
業界に対してのみならず、1973年(昭和48年)と2001年(平成13年)にはデモ行進、1988年(昭和63年)には永井一郎が『オール讀物』(文藝春秋)において『磯野波平ただいま年収164万円』と題して、アニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて、世間一般への理解を求める行動を起こしている[174]。
日俳連・マネ協・音声連による協議の結果、外画動画出演規定・新人登録制度・CS番組に関する特別規定・ゲーム出演規定などを締結した。アニメでは、放送局と、アニメ制作会社で組織される日本動画製作者連盟も加わって、団体協約が締結されている。これにより、仕事1作品あたりの報酬は作品のジャンル・放送時間帯・放送回数・ソフト化などによる2次利用、そして経験実績などの条件によって受け取る額が算出される方法を取られており、音響制作会社の一方的な言い値で手取りを決定されるということはない[注 30]。
以上の協定は、声優・マネジメント事業者・音声製作事業者がそれぞれの団体に所属しなければ縛られることはない。たとえば、石原裕次郎は映画『わが青春のアルカディア』の出演料が1,000万円だったと言われている[175]。日俳連では組織率を高めるために、音声連が製作する作品に出演する人数について「日俳連に属さない出演者の数は全体の20%以内」とし、日俳連に属さない出演者については加盟を推奨することが音声連には課せられている。逆にマネ協・日俳連側は、音声連に入っていない製作会社へ音声連への加盟を奨めることとなっている。
これらの協定を嫌う日本アドシステムズなどの製作者側もあり、日俳連に所属しない声優を起用する例が1990年代半ばより増加したが、東映アカデミーやラムズのように事業を停止した例もある。音声連に属していない事業者としては神南スタジオや脱退した音響映像システム(現・サンオンキョー)などがあり、マネ協に属していない事業者としてはネルケプランニングなどがある[注 31]。
ランク制[ソースを編集]
日俳連に所属する声優が、アニメ・日本語吹き替え作品・社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)に加盟するゲーム会社の作品に声をあてる際の出演料についての規定で、この制度での報酬は「ランク」と呼ばれる出演料によって支払われることになっているため、担当する声が主役だろうが端役だろうがは関係なく、また台詞の数がものすごく多かろうが一言だけだろうがも関係ない。ランクの設定は毎年4月に更新され、人気が上がったりキャリアを重ねると、マネ協や音声連との協議のうえでランクが上がっていき、またランクが上がるごとに出演料が高くなっていく。例外として、60歳以上の者はランクを上げることはできても下げることはできない。1991年(平成3年)に出演料が約1.7倍アップしたこともあり、予算の限られたアニメや吹き替えにはランクの高い(出演料が高い)ベテラン声優が起用されなくなる弊害が生じるようになった。それにより、2001年(平成13年)から2年の期間限定でランク下げを認める特例期間が設けられた。
30分枠作品の最低ランクの出演料が1万5,000円で、最高ランクが4万5,000円、その上に上限なしのノーランクが設定されており、これが基本出演料となる。またその基本出演料に「目的使用料」として、アニメは1.8倍が加算され、吹き替えは1.7倍が加算される。予告編の台詞をやった場合、基本出演料のランクをもとにしたギャラが加算される。放送時間枠が60分や120分の場合は「時間割増」となり、その分のギャラが支払われる。出演作品がソフト化されたり再放送された場合、規定に基づいて「転用料(2次使用料)」が支払われる。これらの合計が声優の総出演料となるのだが、そこから事務手数料や税金などで約30%から40%引かれる。
音声作品の報酬の相場は拘束時間もワード数によって数時間から数日までさまざまで、声優のランクにもよるが、だいたい数百ワードあたり2~3万円ぐらいとされ、有名声優がソーシャルゲームに出るときの単価などとは比べものにならない。声優だけで安定収入を得るのはほんの一握りなのは売上の大半を事務所が持っていくこともあって、事務所声優でも声優業のみで生活できる人は少ない。しかしながらそれでも仕事を取るためには事務所に所属するのが基本で、イベント、コンサートやライブ等で収益を得る事務所声優が安定して仕事をすることになる。
新人[ソースを編集]
声優学校や声優養成所を卒業して、日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)加盟の声優事務所のオーディションに合格した新人声優は、まず「預かり」という身分から声優業をスタートする。この時点ではまだ声優個人としての日本俳優連合(日俳連)への加盟はできない。預かりは声優業の最初のステップとして、ランク制の事実上の番外とでもいうべき存在である。預かり期間修了後はジュニア(新人)ランクとなり、ジュニアランクでいられる期間は3年間ないし所定の起用率に到達するまでで、それを終了したあとは日俳連へ加盟し通常のランクの声優になる[176]。
出演料が安すぎるという理由で1990年(平成2年)に一度ジュニアランクを撤廃したことがあったが、1994年(平成6年)から新たな形で再び導入された。
預かりとジュニアランクの声優の出演料は1万5,000円で、ランクがついた声優とは違い、上述の「目的使用料」「予告編の台詞代」「時間割増料」「転用料」は支払われない。
ベテラン[ソースを編集]
声優としてベテランになり日俳連のランク(出演料)が高くなっていくと、予算の関係からアニメ・ゲーム・吹き替えの仕事は自然とできなくなっていく。そういったことを補うのが、CMやテレビ番組などでのナレーションの仕事である。ナレーションは日俳連の協定によるランクの縛りがなく[注 32]、また、ギャラはアニメ・ゲーム・吹き替えよりもはるかに高額とされる。そのためか、新人・若手声優だったころはアニメに多く出演していたが、のちに中堅・ベテラン格になるにつれてアニメの仕事が徐々に減っていき、ナレーションが中心になるという傾向にある。なおベテラン声優を1回のみ登場、台詞が少ないなど収録時間が短い役に起用する例もあり、アニメやゲームの出演が無くなる訳ではない。
ベテラン声優の中には収入の少なさを補うために本業の傍ら、声優事務所の経営、声優の養成所や専門学校の講師、カルチャースクールの喋り方教室の講師、音響監督などといった副業をしている者もいる。また、ベテランになると、経済的にはむしろそのような副業のほうが本業という声優も珍しくないといわれている。
現状[ソースを編集]
声優を目指す人々は増加傾向にあるが、職業としての声優として第一線で活躍できる者は少ない。オーディションでほかの声優との競争に勝てず、仕事がもらえずに無名のまま脱落し、経済的に自立できずにわずかな期間でやめる、またはプロダクションから「今後、第一線級の声優として売れる見込みがない」と判断されて契約を解除されるという新人・若手声優が多いという[177][178]。実際、一例として内田彩は、2015年(平成27年)9月のインタビューにて「声優の仕事一本で食べていけるようになる2、3年くらい前まで、声優の仕事が空いているときは派遣のアルバイトをやっていました」と打ち明けている[179][注 33]。内山夕実のように(家の都合で)一度引退後に復帰する例[180] もある。
1996年(平成8年)発売のキネマ旬報刊『声優名鑑』には約2,400人の声優が掲載されていたが、このうち声優としての地位が確立されている者は約300人だけで、しかもそのうち声優業だけで食べていける者は約半数であるという[181][注 34]。
ある程度の知名度、出演本数、活動年数があったにもかかわらず、声優業で生計を立てていくことが難しいという理由で引退した者も少なくなく、継続して仕事を維持するのも厳しい世界である[178]。
脚注[ソースを編集]
注釈[ソースを編集]
- ^ 雲の会の意志継承を目指した方針は、理事長:福田恆存、常任理事:芥川比呂志、理事:小林秀雄、大岡昇平、中村光夫、吉田健一、武田泰淳と発足時の顔ぶれにも反映された。
- ^ 作家の夏目漱石は招待客の一人で、公演後の1911年6月5日、6日、東京朝日新聞の自身が主宰する文芸欄に『坪内博士とハムレツト』と題した評論を掲載している。
- ^ ただし、これは無声映画作品に声をつけたものとして放送されており、本格的なラジオドラマとは質が異なる。
- ^ 後述するように『読売新聞』では1926年の時点で「声優」という言葉が使われていた。
- ^ 村田美弥子(当時は村田美禰子)、村田竹子(いずれも女優・村田嘉久子の妹)とともに「スター」として取り上げられていた[53]。
- ^ 第1期生の加藤道子が死去した際、読売新聞は「声優の草分け」と紹介[56]。
- ^ 初の日本語吹き替え作品は1931年の米映画『再生の港』だが、起用された在米邦人の広島訛りが不評で後が続かなかったという[60]。
- ^ 他には、ANIMAX MUSIX(2009年開始)、リスアニ! LIVE(2010年開始)など。
- ^ 2007年に、BS11による『アニメ+』が創設されて以後、この傾向が年々顕著になってきている。
- ^ 但し、古くは昭和では古谷徹や鶴ひろみ、冨永みーな、笠原弘子など、平成でも沢城みゆきや平野綾、木村昴、神木隆之介など、過去に10代で主役を演じたベテラン声優は多数存在する。
- ^ まれに普段使用している声優名のままでクレジットされていることもある。
- ^ ただし、アニメ・日本語吹き替え・ゲームのナレーションはランク制の対象となる。
- ^ 特に「ラブライブ!」から生まれたμ'sは、2016年3月31日・4月1日に声優ユニットとしては初めて東京ドームでの単独コンサートを開催し、両日とも満席であった。
- ^ 2016年にも東京ドームでの単独コンサートを開催したほか、同じ年には声優だけでなくソロ歌手としても初となる阪神甲子園球場でのコンサートを実現している。水樹は阪神タイガースのファンとして知られており、甲子園球場でのコンサートは自身の念願の一つでもあった。
- ^ 水樹はその後も毎年出場を続け、2009年から2014年の計6回にわたり連続出場した。
- ^ 声優ユニットのμ'sが2015年に、水樹に次いで声優2組目となる紅白出場を果たした。
- ^ 阿澄佳奈とされるVTuberのなちょこや鈴村健一とされるなんでも屋の29歳りんくろーなどのケースなど、幾つか謁見される
- ^ 文学座やこまつ座などで俳優としての活動はしていた。
- ^ 2011年までスタジオジブリ海外事業で勤務していた人物。宮崎駿が本人をモデルにした役を設定し起用した。
- ^ 作品限定の声優ユニット活動を行うこともある。
- ^ エイベックス・プランニング&デベロップメント(旧アクシヴ。声優プロダクションとしては縮小化したのち、グループ再編でエイベックス・ピクチャーズの1部門となった)、KADOKAWA系プロダクション・エース、アニプレックス系ボイスアンドハート(廃業の後、アニプレックスから独立)、ドワンゴアーティストプロダクション(ドワンゴ プランニング アンド ディベロップメント。現在のMAGES.となるAG-ONEへ会社統合の後、廃業)など。
- ^ MAGES.-アミュレート(ドワンゴアーティストプロダクションの事実上承継先)、学研プラス-office EN-JIN(2019年に所属者が居なくなり事実上の事業終了)、エイベックス・ピクチャーズ(エイベックス・プランニング&デベロップメントから一部受け入れ)、ポニーキャニオン-スワロウ、ブシロード系の制作子会社による響。
- ^ ミュージックレイン、株式会社S、ポニーキャニオンアーティスツ(現在は取扱なし。声優・アニメ関連を社内別組織マネージメント組織「スワロウ」へ分割した後、2019年7月より親会社のレコード会社ポニーキャニオンに統合)。
- ^ 『声優兼アーティスト』枠で所属オーディションを開催するなどしている。
- ^ 歌手志望者を声優として(も)デビューさせる例があり、株式会社S(現在はディファレンスに移籍)の新田恵海のように、歌手志望として所属オーディションに合格するも事務所の方針で最初は声優としてデビューし、合格から5年半を経て歌手デビューを果たすという例もあり、また、ポニーキャニオンアーティスツ(現スワロウ)の遠藤ゆりか(2018年6月、芸能活動引退)のように、歌手デビュー後に声優としてもデビューするという例もある。
- ^ 一例として、ホリプロ(現在は関連会社のホリプロインターナショナルに移管)、ソニー・ミュージックアーティスツ、スペースクラフトなど。
- ^ 例外的に、ホリプロのような月給制を基本としている事務所もある。
- ^ 平成25年度以降の25年間は復興特別所得税が加算されるため、10.21%となる [1]。
- ^ ただし、年収が少ないため結果的に源泉徴収税を納めすぎとなっているという者は、翌年の確定申告で還付を受けることができる。
- ^ 一概には言えないが、日俳連は基本的に土日祝日のゴールデンタイムに放送される番組に最も高いクラスの報酬を設定している。
- ^ ただし、現在ではスタッフの移籍がより増えたため実質的に加盟している状況の会社もある。
- ^ アニメ・ゲームのナレーションはランクの縛りがある。
- ^ 声優として2008年にデビューして以後、『キディ・ガーランド』(2009年。アスクール役)で主演を務めるなど、出演本数を積み重ねてはいたが、メインキャラクターとしての出演が増えたのは2012年以後のことであった。
- ^ なお、『声優グランプリ』2018年3月号の別冊付録である「声優名鑑2018女性編」で収録されている女性声優は800人、同雑誌の2018年4月号の別冊付録である「声優名鑑2018男性編」で収録されている男性声優は560人(つまり合計で1360人)であった。
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参考文献[ソースを編集]
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- 大塚明夫『声優魂』星海社新書、2015年。ISBN 978-4061385672。
- 内藤豊裕 『「スター化」する声優――日本における「声優」とは何か?(3)――』 2017年。
- 岩田光央『声優道─死ぬまで『声』で食う極意』中公新書ラクレ、2017年。
- 森川智之『声優 声の職人』岩波新書、2018年。
- 関智一『声優に死す 後悔しない声優の目指し方』KADOKAWA、2017年。
関連項目[ソースを編集]
外部リンク[ソースを編集]
- 協同組合日本俳優連合 - 声優の多くが加盟。
- 一般社団法人日本芸能マネージメント事業者協会 - 声優のマネージメントを行うプロダクションなど事業者が加盟する。
- 日本声優事業社協議会 - 声優事業社で組織。
- 一般社団法人日本音声製作者連盟 - アニメの音響製作、外国作品の日本語版製作を行う音響製作会社で組織。
- 日本アニメーション・音響映像システム二次使用料未払い訴訟関係資料 - 原告の日本俳優連合側がまとめた資料。